ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

1976年

「SPECTATOR 1976サブカルチャー大爆発」がスポットを当てていたのは『宇宙戦艦ヤマト』、『別冊宝島』、『地球ロマン』、そして『ロックマガジン』とパンク。同特集では特に注目されていないが1976年には村上龍限りなく透明に近いブルー』というサブカル文学も大ヒットした。だが、同作に登場するロックはドアーズ、ローリング・ストーンズなどだったし、パンク勃興の1976年においては古いものであり、文学の遅さがあらわれていた。

磯崎新

『日本の大衆文化はなぜ「終末」を描くのか』をめくっている。私も同題のようなテーマを『戦後サブカル年代記 日本人が愛した「終末」と「再生」』で考えたがその際、象徴的な人物の一人だと思ったのが、磯崎新だった。

磯崎新は、少年時代に見た戦争の焼け野原が建築家としての自分の出発点だとたびたび語り、「未来都市は廃墟である」とも書いていた。廃墟をイメージしつつ、人々が出入りする建築物を設計するという倒錯的な態度。そこに現代日本文化の根のようなものを感じた。

 

田中純の新刊『磯崎新論 シン・イソザキロン』の前口上が公開されている。「シン・イソザキ論は廃墟化にも見紛う破壊と解体こそを方法にする」。著者の『デヴィッド・ボウイ 無を歌った男』は面白くて取材もしたが、『磯崎新論』にも魅かれる。読まねば。

https://gendai.media/articles/-/141663

 磯崎新の代表作・つくばセンタービルの竣工とYMO散開は1983年。当時、磯崎はポスト・モダンのキーワードで柄谷行人浅田彰と結びついており、坂本龍一は柄谷、浅田の近くにいた。だから私はYMOを通して磯崎の建築論を読み、彼の建築論から坂本の音楽構造を理解するみたいな感覚もあった。

安部公房、安部真知、山口果林

本の雑誌」12月号の泉麻人「深夜ラジオと青春の読書」に、小峰元『アルキメデスは手を汚さない』(1973年)が山口果林主演「女子高校生殺人事件」としてドラマ化(1974年)された話が出てくる。私はドラマを見てから原作を買った記憶があるが、だいぶ後になって山口が安部公房の愛人になっていたと知り、驚いた。

神奈川近代文学館で開催中の安部公房展では、妻の安部真知が夫の作品の装幀や装画、舞台美術を担当しいかに貢献したかが前半で紹介される。だが、安部公房の演劇への進出に触れた後半になると山口果林宛の大入袋がたくさん展示されるなど、私生活の変化が透けて見える流れになっており、安部真知のデザインが好きだっただけになんともいえん気分になった。

https://koboabe.kanabun.or.jp/

 

 

最近の自分の仕事

-「ミステリが読みたい! 2025年版」国内総括、倉知淳『死体で遊ぶな大人たち』のレビュー → 「ミステリマガジン」2025年1月号

 

坂本龍一と山川健一の対談

本の雑誌」12月号の特集は、昭和にスポットを当てた「あの頃、君は読んでいた。」。私も「あの頃」読んでいた。70~80年代を対象にした座談会「紅白懐ノベ合戦!」に村上龍限りなく透明に近いブルー』以来、群像新人賞に注目したという話題が出てくるが、私もそうだった。

 中沢けい村上春樹より前、村上龍の翌年1977年の群像新人賞で優秀作だったのが山川健一だった(同年評論部門受賞が中島梓)。その後YMOがブームになったが、メンバーである坂本龍一個人を認識したのは、ロック評論もしていた山川と彼の対談(1981年「音楽の手帖 ビートルズ」掲載)からだったような記憶がある。

坂本龍一語録 教授の音楽と思考の軌跡』では、誰かとの対話のなかで発せられた坂本の言葉を解説したが、彼の対談や座談会を気にして読むようになった始まりは、山川健一との対談「ビートルズを超えて」だったはず。『語録』では同対談に触れなかったが、セックスピストルズは「最高だった」という山川に対し、坂本が「音楽として面白くなかった」と断じたのが印象的だった。 

 

『本心』『箱男』『シン・仮面ライダー』

 

 平野啓一郎『本心』では、主人公が他人の行為を代行するリアル・アバターを職業とする一方、死んだ母を拡張現実の映像&音声で蘇らせ、仮想空間に出入りする。彼はリアル・アバターとして自分の行動を依頼者から監視される一方、自身は現実にはない世

界を覗きこんでいる。

 同作は映画化されたが、やはり今年映画化された安部公房の代表作『箱男』を連想させるところがあった。箱男は、段ボールをかぶって都市風景にまぎれつつ、自身の姿は見られないまま外を覗こうとする。段ボールによって彼に匿名性がもたらされる。

 一方、『本心』の世界において、リアル・アバターの代行という立場は他人をかぶるようなものだし、その他人の目から逃れられない。だが、仮想空間にアクセスする際には、自分の姿を偽れるし、いわば虚構をかぶれるのだ。なにかをかぶること、視線といった『箱男』の要素が、様々な技術の発達によってヴァージョン・アップされている。

 

 また、映画『本心』の主演が池松壮亮だったことは、やはり彼が主演した『シン・仮面ライダー』も連想させた。青年は素顔が隠れる仮面とともに強靭な力を得たことで別人のような行動をとれるようになるが、紆余曲折の末、ほかの人間の意識も彼と同居することになる。他人に行動を把握されるその状態は、リアル・アバターに近い。その設定は、『仮面ライダー』シリーズの出発点である石森章太郎の同名原作漫画を踏襲したものだ(「石ノ森」に改名する前に書かれている)。

 『仮面ライダー』、『箱男』、『本心』と、私が順に興味を持った三作には、共通性があったらしい。このことについては、いずれあらためて書いてみたい。

 

 

最近の自分の仕事

-平野啓一郎が描く近未来の姿――『本心』映画版と原作が問いかける、急速な“近”未来のリアリティ

 https://realsound.jp/book/2024/11/post-1842792.html

『人間の証明』と『限りなく透明に近いブルー』

 先日、町田市民文学館の「森村誠一展」に行ったけど、しばらくして彼の『人間の証明』と村上龍限りなく透明に近いブルー』が、どちらも1976年刊行なのをこれまで意識していなかったことに気づいた。

人間の証明』は敗戦後間もなくの日本人と進駐軍の黒人兵とのかかわり、『限りなく透明に近いブルー』はベトナム戦争中の在日米軍の黒人兵と日本の若者との乱交パーティが物語のポイントとなる。

 

 映画『人間の証明』ではジョー山中が黒人と日本人を両親とする青年役で出演し主題歌も担当したが、彼は『限りなく透明に近いブルー』を埴谷雄高が評していった「ロックとファックの時代」を象徴するシンガー(元Flower Travellin' Band)の1人だった。ベストセラーになった2作は、どちらも日米関係を象徴する内容を持っていた。

 

 

最近の自分の仕事

-松岡正剛は何者だったのか? 「知の巨人」「香具師」……探求続けた“編集者”としての「強さ」と「弱さ」https://realsound.jp/book/2024/11/post-1842785.html

THE MUSICAL BOX

 昨夜のTHE MUSICAL BOX。ピーター・ガブリエル役は、衣裳&かぶりものだけでなくまず歌声がそれっぽかったし、パフォーマンスもよかった。楽器を持ち替えつつ演奏するメンバーたち、照明などの演出とか、初期ジェネシスは実際こんな風だったのではないかというライヴで楽しかった。

 

 その会場でふと気づいたが、私の記名原稿が商業ベースの書籍に初めて載ったのは1999年『ロック温故知新』(遠藤利明名義。業界誌時代に無署名で書籍に執筆したことはあった)。複数ライターの持ち回り連載の書籍化で私の担当がクイーンとジェネシスだった。執筆時に発売された初期レア音源集『Genesis Archive 1967–75』を中心にした原稿である。まさにTHE MUSICAL BOXの時代。そのことを思い出し感慨に浸ったのだった。

あと、会場出ようとした時、キスエクさん御一行に遭遇したので、いっそうよかった(笑)。

 

 

最近の自分の仕事

-映画化で再注目! エンタメから純文学まで『八犬伝』が与えた多大なる影響 https://realsound.jp/book/2024/11/post-1822844.html

-最果タヒ×三宅香帆が語り合う、宝塚ファンの生き様 『ファンになる。きみへの愛にリボンをつける。』対談(取材・構成) https://realsound.jp/book/2024/11/post-1821031.html

-今野敏著『石礫 機捜235』の文庫解説