ある地域を主題にしたサーガを書いている点で、阿部和重(舞台は山形県の神町)は、大江健三郎(四国の森)を意識している。
阿部の新作『ピストルズ』は、次のような前提で話される物語になっている。
すべてをお話しするとなると、何度か、ご足労いただくことになるかもしれません。場合によっては、何日もかかってしまうかもしれません。それと、あたしがどんなにくわしくご説明さしあげても、石川さんはいずれすべてを、お忘れになってしまうことでしょう。なにもかも、お忘れになられてしまうのです。そのことは決して避けられません。絶対に、避けることはできないのです。
一方、かつて大江健三郎の『M/Tと森のフシギの物語』(1986年)では、昔話を語り始める際の次のような決まり文句が、小説全体にこだましていたのだった。
とんとある話。あったか無かったかは知らねども、昔のことなれば無かったこともあったにして聴かねばならぬ。よいか?
たとえ聴けたとしても後に忘れてしまうことが決まっている物語と、なかったこともあったこととして聴かねばならない物語。この二つの対比には、二人の作家のサーガというものに対する態度の違いがよくあらわれていると思うのだが、どうか。
いずれ考えてみよう。