特集「高田馬場から考える」
先日、紀伊国屋書店新宿本店5階にて行われているブックフェア「文化系書店Life堂 vol.2」(今月20日まで)で、「HB」という同人誌の創刊号を買った。
(「Life堂 vol.2」http://www.kinokuniya.co.jp/04f/d03/tokyo/jinbunya.htm)
(「HB編集部日記」http://d.hatena.ne.jp/hbd/)
同誌の特集「高田馬場から考える」を読み、感慨を覚えた。この特集では、高田馬場駅前のBIGBOXで30余年にわたって催されてきた古書感謝市が、今年5月で終了したことが話題にされている。編集長の橋本倫史は、その撤収風景を記している
古本屋の仕事というのは、結構な重労働だ。特にBIGBOX古書感謝市というのは、すぐに次のイベントの搬入作業が控えていて、急いで撤収作業を済まさなければならない。本を束ねてバンに載せ、棚を片づけ、看板を降ろす。
「さよなら古書感謝市」
僕は昔、この作業に加わっていたことがあった。学生時代に早稲田通りの古本屋でアルバイトしていた時期があり、古書感謝市のため、本の結束や積み下ろしを手伝ったほか、文庫本など低価格帯のものについては値づけもしていたのだ。懐かしい。
また、「HB」創刊号には、「古書現世」店主が、古書感謝市の歴史を綴った文章も掲載されている。それを読んで、僕が働いていた店の先代が、高田馬場における古書感謝市開催のきっかけを作った人物だったと、今になって知った。そうだったのか。
(「古書現世店番日記」http://d.hatena.ne.jp/sedoro/)
- 作者: 向井透史
- 出版社/メーカー: 未来社
- 発売日: 2006/10/01
- メディア: 単行本
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「さよなら古書感謝市」のなかで橋本は、昔ながらの古本屋に対する複雑な感情を記している。古本屋を愛してはいるが、将来は楽観できないというトーンだ。彼は、そのなかで書いている。
じっさい、早稲田の古本屋に並んでいる本は、文芸書や人文書など、学生が読みそうな本が多い。しかし、それはいま現在の学生が読みそうな本ではなく、一昔前の学生が読んでいたような本。
当たり前のことではあるが、あらためていわれると、ドキッとする。今はもういなくなった学生の亡霊を、古びた店がじっと待っている光景を想像してしまう。
特集「高田馬場から考える」には、「学生街なんてなくなっていたんだ」というエッセイも掲載されている。その筆者、天野貴洋は、いわゆる“学生街”は、もはやマスコミのイメージのなかにしか存在しないのではないか、と指摘している。確かにそういう面はある。
森山裕之「QJ」前編集長と坪内祐三
実は、僕が「HB」創刊号を買ったのは、森山裕之「QJ」前編集長のインタヴュー(「モテる雑誌がつくりたかった」。聞き手は橋本倫史)に興味を持ったからだった。記事では、森山が印刷の営業をしていた時期を振り返り、こう語った部分がある。
森山 だから、喫茶店でずーっと本読んでるか、会社が江戸川橋だったから飯田橋のギンレイホールで映画を観てるか、早稲田の古本屋街を回っているかでしたね。
――その頃はどういう本を読んでたんですか。
森山 坪内祐三という書き手を知ったのもその頃でした。『週刊朝日』で小西康陽『これは恋ではない』の書評をされていて、その書評のなにかにひきつけられて、坪内祐三という書き手を強烈に意識するようになりました。
早大出身の坪内祐三は、それこそ古本屋街で教養を吸収したタイプだし、古書についてもよく書いている。だから、森山インタヴューの会話が、早稲田から坪内へと流れていくのは自然である。そして、僕は思うのだ。『ストリートワイズ』や『シブい本』で注目され始めた坪内は、今はもういなくなった学生の亡霊、もはやマスコミのイメージのなかにしかない学生街を象徴する書き手として現れたのではなかったか、と。
一方、森山のインタヴューを読むと、本人もいう通り、「QJ」の編集長だったとは思えないほど、サブカル臭の薄い人生を送っている。そんな人がサブカル系編集者になっていく途上で、古典的な“学生街”的教養とサブカル型教養の中間領域で書く坪内にひきつけられたのは、なにかわかる気がする。森山にとっては、坪内がある種の橋渡しをしてくれる存在と感じられたのだろう。
- 31日夜の献立
- 鶏とじゃがいもの煮物(玉ねぎ、にんにく、しょうが。サラダ油、香酢、しょうゆ、こしょう)
- ひじきと水菜(ポン酢、ごま油)
- わかめ、えのき、長ネギの味噌汁
- 切干大根
- 玄米ごはんに黒ごま