ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

801とエィンジェル

フィル・マンザネラ/801

801といっても「やおい」のことではない。ロキシー・ミュージックのギタリスト、フィル・マンザネラがやっていた別プロジェクトのこと。最近、紙ジャケ化された801のうち、70年代ものを購入した。

ライヴ+ボーナスCD(紙ジャケット仕様)

ライヴ+ボーナスCD(紙ジャケット仕様)

フィル・マンザネラ、ブライアン・イーノ(歌もの時代)の70年代ソロ作は、前から好きだった。2人とも演奏テクニックのある人ではない。でも、自らと同じくセンスが勝負の人と、逆にテクニックが売りの人、その両方をバランスよくゲストに配置し、自分の作品としてまとめる手腕は見事だった。そして、実質的にマンザネラとイーノの双頭バンドだった《801ライヴ》は、2人の手腕が発揮された傑作である。
聞きどころは、ビートルズジョン・レノン作)〈トゥモロー・ネヴァー・ノウズ(T.N.K.)〉のカヴァー。これはケミカル・ブラザーズも愛好している曲で、オアシスのノエル・ギャラガーに歌わせた〈セッティング・サン〉と〈レット・フォーエヴァー・ビー〉は、ケミカル版〈T.N.K.〉を狙ったような曲だった。これらは、〈T.N.K.〉の特徴であるリズムの反復性をダンス・ミュージックに応用するかっこうだった。
一方、イーノが歌う801版〈T.N.K.〉は、この曲のオリエンタリズム、呪術性が強調された印象であり、音色の複雑な綾が素晴らしい。なかでもサイモン・フィリップスのドラムは、オリジナルのリンゴ・スターには絶対叩けないシャープかつきめ細やかなフレーズの連続で魅せてくれる。

ライヴ・アット・ハル(紙ジャケット仕様)

ライヴ・アット・ハル(紙ジャケット仕様)

ライブ・アット・マンチェスター(紙ジャケット仕様)

ライブ・アット・マンチェスター(紙ジャケット仕様)

そんな《801ライヴ》に比べると、イーノが不在になり、ドラムがロキシー組のポール・トンプソンに交代した《ライヴ・アット・ハル》、《ライヴ・アット・マンチェスター》は、マンザネラの別プロジェクトならではという面白みが薄れる。ポール・トンプソンはリンゴと同様、テクはないけど人のよさそうなドラミングで好感を得る、というタイプなので、〈T.N.K.〉も原曲のニュアンスに逆戻りしているような……。
また、《ハル》ではエディ・ジョブソン(ヴァイオリン)、《マンチェスター》ではアンディ・マッケイがゲスト出演。ロキシー人脈が目立つ人員配置になっているから、どうしてもロキシーの別ヴァージョンに聞こえてしまう。ヴォーカルのサイモン・エインリーにイーノやブライアン・フェリーみたいな個性がないことも、それに拍車をかける。
ロキシー・マニアとしては楽しく聞けるものの、《801ライヴ》ほどの完成度がなく録音状態もよくない《ハル》、《マンチェスター》は、やはりコレクター向けだろう。


これらの音源では、マンザネラの代表的インスト曲〈ダイアモンド・ヘッド〉が繰り返し演奏されているが、聞き返してみるとベース&ドラムのアレンジに、ピンク・フロイド〈エコーズ〉と近い部分があることに気づく。後にマンザネラはデイヴ・ギルモアのソロ・ライヴにサポート参加しているが、〈ダイアモンド・ヘッド〉を聞くと、もともと2人の感性が近かったことがうかがえる。

有為エィンジェル『プレリュード 前奏曲

(「BOOK おんざろっく」番外編1)


asin:4062004313
有為エィンジェルと書いて「ういえぃんじぇる」と読む。山崎ナオコーラのネーミング・センスのルーツか? と思うような、もの凄い筆名である。表紙もこんな↑だし。高橋源一郎が『さようならギャングたち』で1981年に群像新人長編小説賞優秀作になった翌年、第5回の同賞を受賞したのが有為の『前奏曲』だった。今では手に入りにくい本だろうが、801ファンは探してみるといい。その頃の英国音楽界を舞台にした小説なのである。


著者が単行本に載せた履歴書、あとがきによると、彼女は英国の「ロック・ミューズィシャン」と結婚していたという。『前奏曲』は、離婚後にその経験を書いたものだが「七〇パーセント」は創作だとしている。
作中では、「トウェンティ・ミューズィック」というバンドを脱退した「ブラウン・イノ」と、まだ在籍している「ジョン・マンゼネラ」がプロジェクトを立ち上げ、ライヴ・レコーディングする。そこにヒロインの日本人「阿麗(アリ)」の夫「ダニュエル・スターク」が、「スィンセサイザとキーボード」担当で参加することになる。
「トウェンティ・ミューズィック」=ロキシー・ミュージック、「ブラウン・イノ」=ブライアン・イーノ、「ジョン・マンゼネラ」=フィル・マンザネラなのは明らかだから、「ダニュエル・スターク」は《801ライヴ》で弾いていたフランシス・モンクマンがモデルなのだろう。クラシックの素養はあるがテクニックが目立ちすぎる「ダニュエル」と、テクはないが芸術的ひらめきのある「イノ」という対比も、現実のままだ。
しかし、小説ではその後、「ダニュエル」が「クラスィック」界を代表するギタリスト「ポール・パーカー」とロック・グループ「アカツキ」を結成する展開になる。ヒロインは「ポール・パーカー」に対して嫌悪感をつのらせる。

それにしてもエレクトリックギターを弾くときまで椅子に腰かけているとは! いくらなんでもこれほど醜いロック演奏者がいるだろうか。しかもその醜さをさらに強調するかのように、彼は背を老人のようにまるめ、大きな鼻などいまにも弦に触れんばかりの格好で演奏しているのだった。

この描写はロッカーらしくないギタリスト、ロバート・フリップをモデルにしたのかと思わせる。「アカツキ」とキング・クリムゾン(深紅王)というバンド名には、「赤」で似たイメージがあるし。
でも、フランシス・モンクマンとフリップがバンドを組んだ事実はない。それならばむしろ、モンクマンが801以前に在籍していたプログレ・バンド、カーヴド・エアのイメージが投影されているのかもしれない。こちらにはヴァイオリン奏者がいて、「アカツキ」がそうだったようにクラシックをなぞった曲が見せ場になっていたのだから。
まあ、フィクションの部分がほとんどなのだろうけど、いろいろと想像を膨らませられる小説である(このちょっと前の時期には、サディスティック・ミカ・バンドにいて加藤和彦の夫人だったミカが、ロキシーのプロデューサー、クリス・トーマスと恋愛関係になったんだよな――と別の日英カップルを思い出したり……)。


小説全体としては、ヒロインと夫の軋轢、不倫を通して女性の自立を描く……っつうか、彼女のわがまま放題の放言に読者がつきあわされるといったぐあいである。
でも、音楽的能力のないヒロインが、夫を見返そうとして一生懸命、歌の練習をするエピソードなど笑える。なにしろ、練習曲が沢田研二カサブランカ・ダンディ〉なのだから、夫に理解されず大笑いされるのも無理はない。
珍品。