ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

北田暁大『増補 広告都市・東京 その誕生と死』

(『ゼロ年代の論点』その後のメモ1)

僕が、過去10年ほどの批評のガイドである『ゼロ年代の論点』を2月半ばに刊行してから約9ヵ月が過ぎた。その後、同書で触れた本が文庫化されたり、言及した書き手の新刊が発売されたりといったことが当然、いろいろ起きている。なので、そうした動きについて時間があるときにメモしていきたいと思う。

増補 広告都市・東京: その誕生と死 (ちくま学芸文庫)

増補 広告都市・東京: その誕生と死 (ちくま学芸文庫)

『広告都市・東京 その誕生と死』(2002年)は、街を広告化する手法、テーマパーク的な手法がどのような時代的変遷をたどったかを追った都市論だった。今年7月に刊行されたその文庫版の最後には「補遺 あるいは続編のためのノート――終わりなき日常の憂鬱」と題された章が増補されていた。
北田暁大は、「補遺」の草稿は2007年夏頃に書いたとあとがきで記しているし、それを大幅に修正することはしていないようだ。都市論にとって3・11の東日本大震災は大きなインパクトを与えたはずだが、活字になった「補遺」を読んでもこの大災害は直接的には反映されていない。
しかし、この「補遺」は著者自身が意図していなかったとしても、結果的に震災“前/後”の段差に対応したものになっている――かのように読める。
『広告都市・東京』の第1章は、超巨大なスタジオセットの世界で育てられ生かされてきた男が主人公の映画『トゥルーマン・ショー』(1998年)を論じた内容だった。映画の舞台となる海沿いの書割の街「シーヘヴン」は、2001年開業の東京ディズニーシーを先どりしたようなテーマパーク的な場所だった。
これに対し、文庫版で付け加えられた「補遺」は、映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』を論じていた。同映画は、昭和レトロなテーマパークに洗脳されてしまった父母たちをとり戻すため、しんのすけが父ひろしの靴を脱がせ自分の足の臭いをかがせることで、夢から醒めさせるストーリーだった。
一方、今年の大震災では、ディズニーの施設には大きな被害はなかったものの、周辺の舞浜、新浦安一帯では地面が液状化して泥が噴き出した。このあたりは、かつて漁民が生活の糧としていた海を埋め立てた場所であり、現れた泥には磯臭さも感じられた。また、周辺の小奇麗な戸建て住宅街、マンション街では下水道がダメージを受け、用を足せない、水洗トイレが逆流するといった臭いを伴う被害が頻出した。
東日本大震災では大津波原発事故をはじめとして、安心していた風景の裂け目から忘れていた過去や現実、臭い、恐ろしさなどが様々な形で襲ってきたわけで、液状化もその一例。
東京ディズニーリゾートを中心に舞浜、新浦安というデオドラント化されよく作られた風景で暮らしてきた人々が、臭いに逆襲されたのだ。外部を排除した空間「シーヘヴン」から始まり、足の臭いという現実が登場して終わる『増補 広告都市・東京』の構成は、そんな震災“前/後”の現実と対応しているように読める。
北田は『広告都市・東京』の本格的な続編を書きあぐねているようだが、この「対応」を次の論考への出発点にしてもらいたいと期待している。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20110208#p1
(関連記事 http://www.sbbit.jp/article/cont1/23303