ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

「YC」岡本健『n次創作観光 アニメ聖地巡礼/コンテンツツーリズム/観光社会学の可能性』

n次創作観光 アニメ聖地巡礼/コンテンツツーリズム/観光社会学の可能性

n次創作観光 アニメ聖地巡礼/コンテンツツーリズム/観光社会学の可能性

拙著『ゼロ年代の論点 ウェブ・郊外・カルチャー (ソフトバンク新書)』でゼロ年代批評の整理を試みた私なので、この本は面白く読んだ。
著者は、「不可能性の時代」、「小さな物語」、「動物化」、「N次創作」など、ゼロ年代批評的な議論を参照しつつ、アニメ聖地巡礼という観光スタイルのなかに、「不可能性」である他者との交流の可能性を読みとる。
同書は、コンテンツツーリズムにかかわる情報や記録がユーザーたちに協働制作されている状況について、アニメ同人誌やニコニコ動画と同様の「n次創作」であると指摘する。そして、アニメ聖地巡礼を「n次創作観光」と位置づける。これを大きな枠組みとしたうえで、旅行者の様々なタイプ、地域住民(ホスト)と旅行者(ゲスト)の接触の諸相を考察していく。
地域や場所を論じた拙著『ディズニーの隣の風景: オンステージ化する日本』でも、この種の聖地巡礼には当然言及した。しかし、コミュニケーションの諸相にここまできめ細かく分け入ることはしなかったので、『n次創作観光』には興味深く思う部分が多かった。


アニメ聖地巡礼をめぐる観察を重ねた著者はいう

つまり、「ホスト/ゲスト」「観光資源の提供側/観光資源の消費側」「もてなす側/もてなされる側」という二項が、必ずしも一致していないことが明らかになった。二項対立は超克され、コンテンツや地域に興味関心のある人同士の関係性が構築され、観光が成立していることが分かる。

『n次創作観光』では、ホストとゲストの境界の融解が、一つのテーマになっている。
それに対し、拙著『ディズニーの隣の風景』では、ディズニーランドでは清掃人もオンステージの出演者=キャストと位置づけられていることを参考にして、日本全体がオンステージ化し、地域住民(ホスト)と旅行者(ゲスト)の双方がキャスト化していると論じたのだった。
その際、私は、素人の踊り手参加者が観光客を呼ぶキャストと化すYOSAKOIを象徴的事例としてとりあげた。一方、岡本健は、ゲストの側であるはずのアニメファンが「WOTAKOIソーラン祭り」(YOSAKOIソーランのパロディといっていいだろう)の踊りでは、地域住民に見られる側になっていると述べている。
二人の議論には近接性があるし、n次創作観光論にキャスト化論を連結すれば、またべつのなにかが見えてきそうな気もする。というわけで、『ディズニーの隣の風景』読者には『n次創作観光』をおすすめするし、『n次創作観光』読者には『ディズニーの隣の風景』も読んでいただきたいと願う(笑)。


ちなみに、アニメの聖地巡礼に関して最初に一冊の本をまとめたのは、『聖地巡礼−アニメ・マンガ12ヶ所めぐり』の柿崎俊道である。『n次創作観光』では岡本が、『氷菓』の聖地・高山を取材する柿崎に同行したことが記されている。実は、私も昨夏、柿崎の引率する都内「八犬伝聖地巡礼に参加させてもらったし、彼の仕事にはいろいろ刺激を受けた。偉大な先駆者である。

聖地巡礼 アニメ・マンガ12ヶ所めぐり

聖地巡礼 アニメ・マンガ12ヶ所めぐり


付記)
そうだ、聖地巡礼に関しては、もう一冊の拙著『エンタメ小説進化論 “今”が読める作品案内』の「まちおこしとセカイおこし−− ご当地グルメ×谷川流涼宮ハルヒの驚愕』×辻村深月『オーダーメイド殺人クラブ』」という章でもちょろっと語っています。あわせてよろしくー。

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