ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

『アイドルのいる暮らし』

ソーシャル化する音楽 「聴取」から「遊び」へ』の参考文献でもある北山修ザ・フォーク・クルセダーズ精神科医)の『人形遊び 複製人形論序説』(1977年)では、ビートルズ初期のヒット曲“I want to hold your hand”は「手をつなぎたい」を意味するだけだが、ファンには邦題の通り「抱きしめたい」と歌っているように聴こえたのだと論じていた。
『4人はアイドル』(『HELP!』)なんて邦題があったように、「歴史」になる以前のこのバンドは、熱狂し没入する対象のアイドルだった。

HELP! - 4人はアイドル

HELP! - 4人はアイドル

一方、AKB48に代表される現在の日本のアイドルに関しては、制限時間が来たら「剥がし」にあうことを前提にして、ファンが握手会に参加するわけだ。その時、“I want to hold your hand”のような歌詞があったとしても、「抱きしめたい」とは聴こえないのではないか。むしろ、「抱きしめたい」という欲望を覚えても時間で剥がされる握手が限度いっぱい、と心の隅のどこかで意識してしまうのではないか。


――なんてことを、岡田康宏『アイドルのいる暮らし』を読み、同書刊行記念イベントに行くなどして思った。
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_130327204208_1.htm

アイドルのいる暮らし

アイドルのいる暮らし

アイドル・ファン10名へのインタヴュー集であり、ここでは「アイドルは距離感のゲーム」ということが一つのテーマになっている。現場に行くのではなく「在宅の方がもっとコアになれる」、「妄想の余地がないのはおもしろくない」などの発言も、そのテーマに関連している。
北山修の議論にひきつければ、「剥がし」前提のアイドルご本人との対面よりは、メディアを通した在宅の妄想のほうが、“I want to hold your hand”を「抱きしめたい」に錯覚できるということだろう。
『アイドルのいる暮らし』は、「距離感のゲーム」をめぐる様々な心のあやをとらえた面白い本だ。