5月31日に宝塚大劇場で宙組「ベルサイユのばら オスカル編」を観劇してきた。宝塚「ベルばら」の脚本は植田紳爾である。「オスカル編」に関しては、涼風真世主演(1991年)のものを覚えているが、今回の「オスカル編」はかなり変更が加えられていて、もう別物だ。
アンドレは幼い頃からオスカルを見守っていて、長きにわたる絆がある。それが二人の愛の前提だ。ところが、今回の脚色では、関係の長さがセリフでは説明されるものの、最初の出会いの場面がない。
逆に、劇中におけるアンドレの物理的な登場はジェローデルと同時であり、この二人を同格に描こうとしている。今回の公演では1ヵ月強の期間中にこの二役を役替わりで見せる趣向にしたから、二役の重みを横並びにしようと考えたのだろう。さらに、アランまで第三の男としてクローズアップしている。オスカルを愛する三人の男という図式だが、その結果、アンドレの特別さが薄れ、散漫になった。なぜオスカルがアンドレを選ぶのか、なぜアンドレがオスカルのために死ぬのか、説得力が失われている。
また、フランス革命に至る激動の時代情勢について、幕前で長々と説明することが多い。普通のセリフのなかにも説明が多く混じる。それなのに、オスカルの姉妹たちのやりとりがダラダラしていて冗漫だったりする。いくら主題歌の位置にあるとはいえ、“我が名はオスカル”を何度も歌わせるのも、客を飽きさせる。とにかく、芝居における言葉のペース配分が、なっていない。
以上のようにひどい脚本ではあるのだが、「今宵一夜」とか「シトワイヤン」とか、昔からの名場面を見せられると、やはり満足してしまう。定番の強みである。そして、凰希かなめのオスカルとしての立ち姿は、きれいであった。