- 作者: 円堂都司昭
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2015/08/24
- メディア: 単行本
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戦後サブカル年代記 日本人が愛した「終末」と「再生」
THE POST WAR DREAM & YOUR POSSIBLE PASTS
第一章 一九七〇年代 終末カルチャーの成立
一 終末論ブーム到来
『ノストラダムスの大予言』
危機の時代
『日本沈没』と大阪万博と未来
終末論と科学の距離
母なる日本、希望としての赤子
『日本列島改造論』と田中角栄
石原慎太郎「院内」の異様さ
二 敗戦国の「母」と「子」
母の崩壊という江藤淳のテーマ
「戦争を/戦争しか知らない子供たち」
宇宙からの視点
『洪水はわが魂に及び』
『はだしのゲン』と『漂流教室』
子どもが「治者」になる
『宇宙戦艦ヤマト』の浮上
敗戦の構図を裏返す
三 核と公害に覆われた世界
核対公害の『ゴジラ対ヘドラ』
『苦海浄土』が描く地方の苦悩
合成洗剤の毒性強調した『複合汚染』
公害と戦争の連続性
官僚視点の『油断!』
原発をめぐるエンタテインメントと本音
『太陽を盗んだ男』の空虚な「私」
「十九歳の地図」の爆破予告
第二章 一九八〇年代 プレイグラウンドとしての廃墟
一 都市と身体のスクラップ&ビルド
つくば科学万博と東京ディズニーランド
廃墟としての都市
母性的ディストピアでの逃走
『ブレードランナー』の未来
『AKIRA』の少年と動的な力
地方独立を図る『吉里吉里人』
『風の谷のナウシカ』の少女と生態系
身体のスクラップとしてのホラー
二 強い「治者」と「私」
ダイ・イン、文学者の反核声明
反核とサブカルチャー
日本の原発事故を予言した『危険な話』
中曽根「不沈空母」発言
世界にNOという『沈黙の艦隊』
個人のヴィジョンとしての戦争、破滅
村上春樹と新井素子の「私」
昭和の終わり
第三章 一九九〇年代 安全神話の崩壊
一 バブル敗戦の廃墟
幻の都市博
「デカイ一発」はこない
阪神・淡路大震災
オウム事件と「私」探し
雑多な終末カルチャーの濃縮
藤原新也の麻原水俣病説
「終わりなき日常」
『エヴァンゲリオン』の父と母
どの「世界」が終わるのか
二 「新しい歴史」への欲求
湾岸戦争での「文学者の反戦声明」
『悪魔の詩』とコーランのリミックス
「終わり」のインフレ
「あいまいな日本の私」
五五年体制の崩壊以後
「新しい歴史」と『戦争論』
『買ってはいけない』が再生産した過去
環境ホルモンと二〇〇〇年問題
第四章 二〇〇〇年代 聖域なき新しい戦争
一 9・11以後と復興願望
9・11の衝撃とアラブの終末論
自民党政府のトラウマ
小泉純一郎というキャラクター商品
「新しい戦争」と監視社会化
海の向こうの戦争と本土決戦の幻
『虐殺器官』のフィルタリング
検索から逃れる「死」
地域活性化としての戦争
バブル敗戦からの復興を夢みて
二 バトルロワイヤルなセカイ
村上隆の「リトルボーイ」展
広島の空に「ピカッ」
オタク・カルチャーと現実・歴史
セカイ系とバトルロワイヤル
「私」探しと自己責任論
「希望は、戦争。」、秋葉原事件、『俺俺』
『1Q84』における共同体の変質
『20世紀少年』の「ともだち」
『日本沈没』再び
『不都合な真実』とありえた別の過去
第五章 二〇一〇年代 再び、終末から再生へ
一 3・11からの戦後史リメイク
東日本大震災と福島原発事故
原発推進派・反対派がとりあう「美しい日本」
更新された「明日の神話」
佐村河内守のヒロシマとフクシマ
反原発で人は猿になるのか
災害ユートピアと福島第一原発観光地化計画
「災後」が過ぎ、「戦後」に揺り戻す
ゴジラ再びと歴史のリメイク
二 終末と再生の壁のなか集団の足音
社会の災害化、消滅可能性都市
3・11後とシンクロした『進撃の巨人』
村上春樹の壁と卵
SEKAI NO OWARIのファンタジー
『美しい国へ』再チャレンジ
「僕たちは、戦争を知らなくていい」
右傾エンタメと呼ばれた『永遠の0』
神風不在の『風立ちぬ』
終末と再生のループ
二〇二〇年東京オリンピック
主要参考文献
あとがき
関連年表
索引
- 最近の自分の仕事
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- 2014年以降に自分が書評した本の一覧 http://astore.amazon.co.jp/endingendless-22?_encoding=UTF8&node=18