ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

デヴィッド・ボウイ

デヴィッド・ボウイが、1月10日にガンのため亡くなった。
1992年にボウイが、グラム・ロック時代の盟友ミック・ロンソンとともにフレディ・マーキュリー追悼コンサートに出演したことを思い出す。当時、ロンソンはガン闘病中だと明かされており、フレディ追悼コンサートの1年後、自分が追悼される側になってしまった。あれから時は過ぎ、今度はボウイがガンになった。
フレディ・マーキュリーが、生前最後にクイーンとしてシングル・カットしたのは“The Show Must Go On”だった。ショーマンであった彼にふさわしい曲だった。
一方、ボウイの生前最後のシングルは“Lazarus”。『聖書』に登場する、イエスによって甦らされた男ラザロに由来するのだろう。アーティスティックで見事な締めくくりである。
かつて“Under Pressure”で共演したフレディとボウイは、いずれも自分の表現の不滅であることを祈念するようなシングルで人生の幕を引いたのだった。


私のボウイ初体験は、NHKで放送された1978年の武道館公演だった。『“HEROS”』発表後のツアーで1曲目は『LOW』の“Warzawa”。同ツアーを録音した『STAGE』が、最も私が回数を聴いたボウイのアルバムであり、そのライヴで選曲の中心になった『STATION TO STATION』から『“HEROS”』までの3作が、変化し続けた彼の歩みのなかでも特に好きな時代だった。
また、『“HEROS”』、『STAGE』、『LODGER』、『SCARY MONSTERS』という70年代後半の4作は、リード・ギターが順に、ロバート・フリップエイドリアン・ブリュー、ブリュー、フリップとなっていた。これらの作品に親しんでいたから、2人のギタリストが組んだ80年代キング・クリムゾンに関しても(最初、クリムゾンを名乗るのはいかがなものかと思ったけれど)、サウンドに好感を持った。フリップは2012年に音楽家活動からの引退を発言したものの、つい最近、クリムゾンとして来日してくれた。だが、ボウイのライヴはもうない。


ボウイと同時代的な関係性のあったロキシー・ミュージック(ブライアン・フェリー、ブライアン・イーノ)、ルー・リードもよく聴いた。
また、グラム・ロックとベルリン三部作の70年代ボウイを愛聴した後、70年代後半から80年代のニュー・ウェイヴでJAPAN、ウルトラヴォックス(ジョン・フォックス)、ゲイリー・ニューマンデュラン・デュランジョイ・ディヴィジョンバウハウスザ・キュアーザ・スミスモリッシー)、90年代にはスウェードナイン・インチ・ネイルズマリリン・マンソンなどなど、ボウイの影響を受けた様々なアーティストに親しんだ。
つまり、リスナーとして、ボウイをロック史におけるランドマークのように扱ってきたところがあるわけだ。それだけに彼の死による喪失感は大きい。


『戦後サブカル年代記 日本人が愛した「終末」と「再生」』では、核被害を描いたアニメ映画『風が吹くとき』の主題歌がボウイ“When The Wind Blows”だったことに触れた。また、同書の執筆中には、ジョージ・オーウェルディストピア小説『1984』にインスパイアされたアルバム『DIAMOND DOGS』、米ソ冷戦の象徴的な場所ベルリンで録音された『LOW』、『“HEROS”』を聴き直したっけ。
これからしばらくの間、リリースされたばかりの新作『BLACKSTAR』から遡る形で、ボウイの作品にあらためて向き合ってみようと思う。

★(ブラックスター)

★(ブラックスター)