ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

ディストピア小説と天皇制

カタストロフ・マニア

カタストロフ・マニア

島田雅彦『カタストロフ・マニア』。本を読み終わってから、PVが作られていたことを知った。
https://www.youtube.com/watch?v=mpIxBafFXKo
同作では、太陽のしゃっくりによる大停電やパンデミックに襲われた日本において、皇族は御所に留まっているが、政府は遷都を検討中と伝えられている。
一方、百田尚樹『カエルの楽園』の舞台となるツチガエルの国ナパージュでは、過去の戦争の後に王は退位させられ、王家は名ばかりのものとなって何も命令をくださなくなり、元老たちが統治するようになったとしている。

カエルの楽園 (新潮文庫)

カエルの楽園 (新潮文庫)

日本をモデルにしたディストピア物語を書く場合、たとえ積極的に扱わないにしても、皇室の存在に触れないままではいられないということだろう。
だから、矢野利裕が「群像」2015年6月号の書評で田中慎弥『宰相A』に対し、天皇制について書かれていないと批判したことには一理あると思った。
ただ、最近、必要を覚えて「新潮」2015年5月号の田中慎弥中村文則の対談「AとXの対話」を読んでいたら、次のようなやりとりがあった。

中村 『宰相A』にも天皇が登場するかなと思って読んでましたが、最後まで出てきませんでした。でも、よく考えてみると、あの世界ではそれが必然ですよね?
田中 親米保守を徹底すれば、天皇は出てこないですからね。

1カ月違いで発表された対談と書評のスケジュールから想像すると、矢野はこの対談を読む前に『宰相A』評を書き、双方の見解がすれ違ったのではないか。同作での天皇制スルーは妥当だったのか、書くべきだったのか、そのことについてなにか語った人はいたのか、少し気になっている。

宰相A

宰相A