ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

大野雄二と市川崑の金田一耕助シリーズ

犬神家の一族

犬神家の一族

来年4月、『犬神家の一族』、『人間の証明』、『野性の証明』という初期の角川映画3作を彩った大野雄二の音楽のコンサートが開かれる。各作品のハイライト映像をスクリーンに流し、オーケストラが生演奏するという。生まれて初めて自分のこづかいで買ったレコードが『犬神家の一族サウンドトラックのLPだった私としては、当然、チケットを買った。
http://amass.jp/95947/


角川映画3作のサントラで注目された大野は、第2シリーズ以降の『ルパン三世』の音楽も担当したことでも知られ、今では名匠とされている。
彼の成功の出発点になった『犬神家』サントラは、毎日映画コンクール音楽賞を受賞するなど評価されたし、ダルシマーの印象的な音がメロディを紡ぐテーマ曲“愛のバラード”はよく知られている。だが、監督の市川崑は、大野の音楽が気に入らなかったらしい。サントラ・アルバムを聴いて『犬神家』を見れば、いかに市川が大野の音楽を忌避し、遠ざけたかがわかる。

Keyboard magazine (キーボード マガジン) 2017年10月号 AUTUMN (CD付) [雑誌]

Keyboard magazine (キーボード マガジン) 2017年10月号 AUTUMN (CD付) [雑誌]

「キーボード・マガジン」2017年秋号の「特集 映画音楽の技法」には大野雄二のインタヴューも掲載されていた。そこで彼は語っていた。

監督の市川(崑)さんが“こんなのイヤだ”と言って映画ではあまり使われていないのもあって(笑)。

(※引用者注:映像に合わせて演奏するやりかたを語ってから)でも、サントラ・レコードはそうじゃくなくて、『犬神家の一族』の、僕のイメージ・アルバムなんです。テーマ音楽だけは画に合わせて作ってるんだけど、レコードは監督の指示で作っていない分、もっと音楽的に作れる。

市川が大野の音楽を気に入らなかった話に関しては、同誌以外でも目にしたことがある。テーマ曲のモチーフを場面の雰囲気にあわせて変奏するなどして、大野はメロディを重視し、音楽だけ独立しても聴けるという意味での完成度が高い曲を作っていた。それに対し、市川はもっと抽象的な音を欲したらしい。
2人の感覚のズレは、『犬神家の一族』で初めて金田一耕助が登場する場面の音楽の使いかたに現れている。金田一が歩いてくるバックで、ベースのリフを中心とした音楽がほんの短い時間だけ流れる。だが、それをアルバムで聴くと、ピンク・フロイド“エコーズ”をなぞったような構成でドラマチックに展開する7分半の曲“怨念”のなかの一番地味な部分なのである。音楽に映画の部品であることを求める監督としては、作曲家として大野が嗜好する完成度や様式としてのまとまりが邪魔だったのだろう。

悪魔の手毬唄総劇伴集

悪魔の手毬唄総劇伴集

市川崑金田一耕助シリーズ第2作『悪魔の手毬唄』で音楽を担当したのは、村井邦彦だった。前作の大野の音楽が注目されただけにやりにくかっただろうが、バンジョーを使った“哀しみのバラード”は、中年の悲恋をポイントにした物語の内容によく似合っていたし良い曲だったと思う。なのに、シリーズ第3作以降のサントラは田辺信一に代わってしまい、彼の音楽は印象に残っていない。
カネボウとのタイアップで作られた『女王蜂』の主題歌は、三木たかし作曲、田辺信一編曲。テレビCMで流されていたが、横溝的世界には違和感のあるポップスだった)

愛の女王蜂 [EPレコード 7inch]

愛の女王蜂 [EPレコード 7inch]

市川崑金田一シリーズの音楽についてどう考えていたのか。彼のインタヴュー本をめくっても記述がみあたらなかった。だから、最近刊行された『市川崑悪魔の手毬唄」完全資料集成』に期待したのだが、同書にはそもそも音楽を主題にした記事がなかったのであった。ああ。

市川崑「悪魔の手毬唄」完全資料集成 (映画秘宝COLLECTION)

市川崑「悪魔の手毬唄」完全資料集成 (映画秘宝COLLECTION)