エマニュエル・トッド『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』

シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 ((文春新書))

シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 ((文春新書))

地球上どこでも人間は同じなのであれば、異なるふるまいをする彼らは人間ではないと平等主義に根差している差別。
多文化主義の立場から差異への権利を認め、それを移民管理の標準形にして、無意識のうちに差異に基づく不平等主義となる差別。
エマニュエル・トッドはフランスの政党に関し、前者の国民戦線を主観的に外国人恐怖症、後者の社会党を客観的に外国人恐怖症なのだと論じる。
彼は、移民の第一世代はともかく、その子世代の結婚では出身国の家族構造ではなく現地国の家族構造をとって同化していくとする。また、男女の地位は別にしてイスラム教の家族構造は意外に平等主義的だとプラスに評価する。ゆえに移民は脅威ではないというのだ。どこまで妥当な状況分析かは、わからないが……。


トッドは、フランスの脱キリスト教化、ゾンビ・カトリシズムを指摘しつつ、各地域の統計調査に基づいて議論を展開する。もともと国内にあった経済格差、宗教観や家族構造の差異をみつめ、イスラムユダヤとの摩擦を考察していく。
たまたま『猿の惑星』オリジナル・シリーズを再見したタイミングで読むことになった。フランスでは、イスラム教のムハンマドを下品に風刺した「シャルリ・エブド」への襲撃事件(2015年1月)で外国人恐怖症が高まったわけだ。一方、『猿の惑星』シリーズでは、神は自分に似せて猿を造ったとする猿の宗教が出てくるほか、核ミサイルを信仰して賛美歌を合唱する被爆子孫ミュータント集団など、キリスト教一神教の戯画が登場する。
また、猿−人間の差別を描くだけでなく、それぞれの種族内部にある差異や対立にも触れていた。猿は「猿は猿を殺さない」と自分たちの平等・平和を掲げつつ、人間を下層の存在と扱って狩る。一方、知性のある人間がいることを理解する猿もいるが、彼らもいわば「差異への権利」を認めつつ無意識に相手を奴隷扱いしてしまい、結果的に不平等な態度をとる。トッドが本書で語ったような構図が、前世紀に制作された『猿の惑星』シリーズに散見されるのだ。それだけ、起こりがちな差別構造をよくとらえていたわけである。
猿の惑星』第1作では人間のテイラーがチンパンジージーラにキスするが、ピエール・ブールの原作では両者は融和的になるものの猿側が人間のキスを拒否した。また、『猿の惑星』シリーズでは、猿社会はゴリラ、チンパンジー、オランウータンの3種族からなるものと描かれたが、そのなかに混血猿は見当たらなかったし、猿と人間の恋愛もありえなかった(喋れなくなり知能が猿並みに退化した未来人と現代からタイムスリップした人間の恋愛関係は描かれたが)。その意味では、トッドが移民問題における希望としてとらえている同化のテーマは、同シリーズにはなかった。
――てな感じで、『シャルリとは誰か?』を読んだことは、直前に鑑賞した『猿の惑星』シリーズを解釈するうえでも刺激になった。