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文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

「前田愛『都市空間のなかの文学』から考える」視聴しての余談

 

都市空間のなかの文学 (ちくま学芸文庫)

都市空間のなかの文学 (ちくま学芸文庫)

  • 作者:前田 愛
  • 発売日: 1992/08/01
  • メディア: 文庫
 

 

 4月25日、日本近代文学若手研究者フォーラムが催したオンライン・シンポジウム「前田愛『都市空間のなかの文学』から考える」を視聴した。

https://twitter.com/forum_bungaku/status/1378341217541316608

 廣瀬航也「一九八○年代テクストとしての前田愛『都市空間のなかの文学』」、安藤優一「日野啓三作品による都市空間――『夢の島』を中心に」という2つの発表とその後の討議は、いずれも興味深いものだった。シンポジウムの性格からして当然、文学史における都市論を語る内容になった。ただ、発表を聞きながら、『都市空間のなかの文学』の議論が1982年の発表時、文学の外へもつながるものだったことを思い出していた。シンポジウムではクローズアップされなかったその点について、覚書を記しておく。

『都市空間のなかの文学』から2年後の1984年に前田愛編により「別冊國文学・知の最前線 テクストとしての都市」が、刊行された。原広司槇文彦清水徹多木浩二山口昌男磯田光一ボルヘスなどの名が並んだ目次をみれば、1980年代における文学と都市論の関係、距離感が察せられるだろう。

https://www.nanyodo.co.jp/php/detail_n.php?book_id=K2008057

 このなかで特に興味深いのは、クリストファー・アレグザンダー「都市はツリーではない」、磯崎新「見えない都市」の掲載である。いずれも既発表原稿の再録だったが、1980年代の都市論ではどちらもよく言及された文献だった。

 先に触れた25日の発表では、『都市空間のなかの文学』に先行するこの系統の議論として柄谷行人「風景の発見」(『日本近代文学の起源』1980年所収)をあげていたが、アレグザンダー「都市はツリーではない」は、柄谷が『隠喩としての建築』(1979年)の表題作で引用していたものだ。アレグザンダーは都市をめぐり、ツリー、セミラティスといった構造モデルを通してとらえる方法について考察していた。柄谷はこの議論を出発点にして、項目と項目の関係性によって特定の領域をとらえようとする思考(「建築への意志」)を言語、数、貨幣、芸術などに見出していく。具体的な個々ではなく、抽象化された項目同士の関係性を問う姿勢は、構造主義的、記号論的な思考をつきつめるものだったといえる。

 一方、磯崎「見えない都市」(1967年)は、車のための道路や駐車場が面積の多くを占めるようになったことにあらわれている通り、現代の都市は流動的なものであり、建築物など物理的な実体よりも、むしろ標識、案内板、ネオンサインのような記号のほうが本質だと述べていた。これは、都市の記号化を指摘した先駆的な文章だったといえる。

 1980年代には、東京の外国人風の発音である「Tokio」をあえて日本人が歌詞に使った沢田研二TOKIO”、YMOイエロー・マジック・オーケストラ)”TECHNOPOLIS”への注目など、サブカルチャー領域でも記号論的な都市論・東京論は盛んだった。

 シンポジウムでの安藤の発表では、日野啓三の戦争の記憶と都市を描いた作品の関係性に焦点があてられていたが、1980年代の日野は文学とサブカルチャーの交点で創作した小説家でもあった。その頃の日野は、YMOにも影響を与えたブライアン・イーノなど音楽についての文章をしばしば書いていた。

 また、安藤も引用していた「私にとって都市も自然だ」、「都市は廃墟をはらんでいる」を収録した日野のエッセイ集『都市という新しい自然』(1988年)には、J・G・バラードフィリップ・K・ディックウィリアム・ギブスンといったSF作家を取り上げた原稿も含まれていた。

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784643880663

夢の島』、『砂丘が動くように』など都市風景が物語の核となる1980年代の日野作品は、バラードの『沈んだ世界』、『結晶世界』などと親近性があった。さらにさかのぼれば、バラードが評価していたという大岡昇平の戦争小説『野火』のジャングル描写と、バラード自身による一連の変容した都市の描写には通じるところがあった。その意味では、都市の廃墟性に注目した日野の作品は、大岡とバラードの接点の延長線上に生まれたのだ。SF作家・筒井康隆が文学に進出する一方、日野のようにSFの影響を受けた小説を発表する純文学作家も目立った1980年代は、過去にはサブカルチャー扱いだったSFが文学と接近した時代でもあった。

 そして、日野が『都市という新しい自然』でとりあげたSF作家のなかでも、ギブスンはサイバーパンクのパイオニアであり、実体としての都市に重なって存在する仮想の都市=電脳空間(サイバースペース)を舞台にしていた。

『都市空間のなかの文学』の都市をテクストとして読むという発想、抽象的な項目と項目の関係性からとらえる、物理的実体より記号のほうが都市の本質であるという記号論的な思考のその先に仮想で構築された電脳空間が現れたのだ。1980年代の都市論にそんな側面があったことをメモしておく。

 

 

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