ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

BLとSFとロック

 

 

SFマガジン」4月号の特集BLとSFは、BLのルーツ的雑誌「JUNE」に関して、佐川俊彦元編集長インタビュー、同誌の名物企画だった中島梓「小説道場」についての論考(瀬戸夏子)など多くの頁を割いていて、興味深く読んだ。この特集でクローズアップされなかった要素について、個人的な記憶を雑記しておく。

 

 

 私にとって「JUNE」は、ロックとともに記憶されている。1978年に「COMIC JUN」が創刊され、第3号から「JUNE」になったその同時代に発行されていた洋楽ロック雑誌には、実在アーティストをモデルにしたパロディマンガがよく載っていた。そこには、クイーン(初期)、JAPANなどメンバーがメイクしていた人気バンド(←どちらも女性ファンが多かった)が登場し、後にやおい、BLなどと呼ばれることになった要素がギャグとして散りばめられていた。ユニセックスなイメージでは先輩のデヴィッド・ボウイも登場した。

 逆に「JUNE」には、ロックのレコードの広告が入っていたし、本文にも関連したページがあった。今、手元にあるバックナンバーをみると「COMIC JUN」1978年12月号では、裏表紙広告にJAPAN『苦悩の旋律』、折りこみピンナップと特集ページにデヴィッド・ボウイ、「JUNE」1979年2月号の裏表紙広告にデヴィッド・ボウイ『ステージ』とダリル・ホール&ジョン・オーツ『赤い断層』が掲載されていた。

 同時代の「ロッキング・オン」には「JUNE」的なものは是か非かみたいな投稿もあったし、「JUNE」とロックは地続きのカルチャーだった印象がある。当時、少年愛ものを描いていた女性マンガ家にはロック好きだったり、ロックのビジュアルを意識して作画する人が少なくなかったということもある『デヴィッド・ボウイ 無を歌った男』を刊行した田中純氏にインタビューした際、限られた時間のなかで萩尾望都やBLについても聞いたのは、そこらへんを意識してのことだった。https://realsound.jp/book/2021/03/post-730379_2.html

「JUNE」の中心的執筆者だった栗本薫/中島梓は、小説『ぼくらの気持ち』で「JUNE」的な文化圏を題材にしたが、そこにもロックネタが多く出てきた。また、彼女のその方面での初期代表作『真夜中の天使』、『翼あるもの』が、もともとは沢田研二(初めはグループサウンズのスターとして世に認知された)の主演ドラマ『悪魔のようなあいつ』の二次創作として発想され、発展してオリジナルな物語になった経緯もある。

 そうした文化圏のなかで男である私は当時、「JUNE」や少年愛をあつかった少女マンガをどのように読んでいたか。それらで描かれている絵や行為が、「薔薇族」や「さぶ」など本来の男性同性愛をあつかった雑誌のものとばまるで別物だとは認識していた。「JUNE」やその種の少女マンガの“男”は、本当の男、女とは違う別の性に見えた。

 一方、ロックにおけるユニセックスな存在の代表格だったデヴィッド・ボウイは、グラム・ロック時代は自らを宇宙人とキャラクター設定し、その後はSF映画『地球に落ちてきた男』で宇宙人を演じたのだった。そのせいもあって、私はボウイを通して、「JUNE」的な“男”を一種のSF、現実の人間とは違う別世界の存在と受けとめて物語を楽しんだところがある。JAPANもSFやホラーを連想させる曲をしばしば発表していたし、沢田研二テクノポップ化した歌謡曲でなぜかパラシュートを背負ったり(“TOKIO”)、カラーコンタクトを入れてアンドロイド風になったり(“恋のバッド・チューニング”)したこともそうしたSF寄りの印象を強めた。逆に、少年愛を描いた少女マンガ家の多くは、SFやファンタジーも描いていたから、彼女たちによる“男”を異世界のキャラクターとして受け入れやすかったのでもある。

 というわけで、BLとSF、と聞いて私が真っ先に思い浮かべるのは、ロックなのだった。

 

 

最近の自分の仕事

-「週刊読書人」3/11号恩田陸『愚かな薔薇』評 → 「週刊読書人」3/11号

-「SFマガジン」91年生まれの新編集長・溝口力丸が語る、伝統への挑戦「手の届かない遠さまで未来を求めようとする姿勢が大事」(取材・構成)https://realsound.jp/book/2022/03/post-990420.html

-「アフタートーク 著者×担当編集者」第2回 『マザー・マーダー』矢樹純(作家)×吉田晃子(光文社)の聞き手・構成 → 「ジャーロ」No.81

-麻加朋『青い雪』のレビュー → 「ハヤカワミステリマガジン」5月号

メフィストリーダーズクラブ(MRC) 自分もやってしまうかもしれない『坂の途中の家』(角田光代)/「事件の子ども」『罪の声』(塩田武士)

-矢野利裕が語る、文学と芸能の非対称的な関係性「この人なら許せる、耳を傾けるという関係を作ることがいちばん大事」(構成・取材) https://realsound.jp/book/2022/04/post-1006152.html