ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

磯崎新

『日本の大衆文化はなぜ「終末」を描くのか』をめくっている。私も同題のようなテーマを『戦後サブカル年代記 日本人が愛した「終末」と「再生」』で考えたがその際、象徴的な人物の一人だと思ったのが、磯崎新だった。

磯崎新は、少年時代に見た戦争の焼け野原が建築家としての自分の出発点だとたびたび語り、「未来都市は廃墟である」とも書いていた。廃墟をイメージしつつ、人々が出入りする建築物を設計するという倒錯的な態度。そこに現代日本文化の根のようなものを感じた。

 

田中純の新刊『磯崎新論 シン・イソザキロン』の前口上が公開されている。「シン・イソザキ論は廃墟化にも見紛う破壊と解体こそを方法にする」。著者の『デヴィッド・ボウイ 無を歌った男』は面白くて取材もしたが、『磯崎新論』にも魅かれる。読まねば。

https://gendai.media/articles/-/141663

 磯崎新の代表作・つくばセンタービルの竣工とYMO散開は1983年。当時、磯崎はポスト・モダンのキーワードで柄谷行人浅田彰と結びついており、坂本龍一は柄谷、浅田の近くにいた。だから私はYMOを通して磯崎の建築論を読み、彼の建築論から坂本の音楽構造を理解するみたいな感覚もあった。