小嶋洋輔・高橋孝次・西田一豊・牧野悠『中間小説とは何だったのか 戦後の小説雑誌と読者から問う』は、この領域が成立し、やがてそう呼ばれなくなるまでを追った興味深い内容。純文学と大衆小説の“中間”という観点からまとめられた本である。
松本清張をあつかった章があるほか、各章の記述のなかには江戸川乱歩、坂口安吾『不連続殺人事件』、夢野久作、甲賀三郎も出てくるから、当時の中間小説とミステリとの距離感はなんとなくうかがえる。
ただ、著者たちは、対純文学として考えてはいても、対ジャンル小説という意識は薄く、そういった観点の議論は深められない(後年のSFに関してもそう)。清張などの社会派ミステリは、ミステリ専門誌「宝石」に掲載されていたようなマニア向け小説と大衆小説の“中間”に書かれたように思うのだが。
また、同書では、かつて時代小説に関し「講談や浪花節の水準に低下した」との批判があったという話が、面白かった。漫画、映画、テレビが小説の比較対象になる以前は、そうだったのかと気づかされた。
他メディアと小説の関係という点を踏まえると、『中間小説とは何だったのか』で「野生時代」創刊を“中間小説”から“エンターテイメント”への変容を示すものととらえているのは、たぶん正しい。同誌の版元がメディアミックスを推進した角川書店だったことと変容は、関係しているはずだ。
中間小説の周辺には、さらに考えたいことがいくつもある、と思わせてくれた本だった。
-最近noteにアップした過去原稿
「悪戯好きな子供」の十五年(綾辻行人デビュー15周年の際の原稿。2002年)
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