ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

BEAT武道館公演と80年代キング・クリムゾン

当日朝の思い

 1981年12月9日、渋谷公会堂。初来日したキング・クリムゾンの初日を観に行った。洋楽ライヴの初体験だった。70年代と異なる方向性にこのバンド名を使う必要があるのかと思わないでもなかったが、デヴィッド・ボウイトーキング・ヘッズエイドリアン・ブリューのギターが好きになっていたし、サウンド自体はけっこう気に入っていたのである。実際の演奏を見て、ビル・ブルフォードのシモンズ、トニー・レヴィンのスティック、ロバート・フリップのギター・シンセ、ブリューのエレファント・ギターなど、アルバムの音の重なりはあれがこうしてこうなってそういう配分だったのか! と驚いた。

 1984年5月3日、中野サンプラザで2度目の来日を観た際には、ブルフォードとレヴィンの気まぐれにも思える自由闊達なプレイに感動した。

 なんだかんだで80年代クリムゾンを楽しんでいたのである。そして、ブリュー、レヴィンが、スティーヴ・ヴァイ、ダニー・ケアリー(TOOL)とともにBEATとしてあの頃の楽曲を披露するという。ジャッコ・ジャクジクをG&Voにした2010年代以降の大所帯クリムゾンも、80年代楽曲をわずかながら演奏してはいた。だが、当時のファンキーな要素は排除され、やはり別ものという印象だった。それに対し、BEATはどんな音を聴かせてくれるのか。ヴァイとケアリーの演奏に期待している。

 

夜の公演

 ブリューとレヴィンによるロバート・フリップ抜きのキング・クリムゾン再現という意味では、2013年5月17日にThe Crimson ProjeKCtを川崎クラブチッタで観ている。それは、レヴィンとパット・マステロットが参加したスティック・メンと、ブリューのトリオが合体した6人編成であり、ダブル・トリオを打ち出した90年代クリムゾンと形の上では重なっていた。だが、フリップがクオリティ・コントロールをしてアレンジが工夫されていた90年代クリムゾンに比べ、6人がいっせーのでただ一緒に演奏しているような大雑把な音の鳴りのThe Crimson ProjeKCtでは、かなり違いがあった。フリップ抜きの6人は仲間内のノリというか、どこか緩い雰囲気だったのだ。

(ついでに書けば、ブリューがポリスのスチュワート・コープランド、レベル42のマーク・キングなどと組んだギズモドロームの2018年来日公演をオーチャードホールで観た際、“Elephant Talk”、”Thela Hun Ginjeet”というクリムゾン・ナンバーを演奏したが、後者などはミスがあっていまひとつの出来だった)

 しかし、BEATはThe Crimson ProjeKCtとは違っていた。ヴァイ、ケアリーという実績のある2人がただのサポートではなく、ブリュー、レヴィンと同格のプレイヤーとして参加していたからだろう。演奏中は適度な緊張感があった。

“Frame by Frame”に顕著だった通り、フリップのシーケンス・フレーズをタッピングで再現しつつ変奏していくなど、ヴァイは随所に独自色を盛りこんだ。また、ケアリーは、ビル・ブルフォードのシモンズを使った軽快さとは異なる、ヘヴィでありながら適格なドラミングでサウンドを引き締めた。彼らの力を得てブリューとレヴィンのプレイも活き活きしていた。“Sleepless”、“Elephant Talk”など上出来だったし、いいものを観させてもらったと思う。

 

 ただ、エンディングに不満がなくはなかった。海外公演の多くでは2部構成の本編の後、アンコールで70年代の名曲“Red”、“Thela Hun Ginjeet”というパターンだった(最近出たライヴ盤『ライヴ~イン・ロサンゼルス 2024』もそう)。だが、昨夜は、通常なら本編最後の”Indiscipline”をやってステージから引っこむことなく“Thela Hun Ginjeet”に突入し終了だった。“Red”を演奏しなかったのだ。ご承知の通り、近年は洋楽のチケット代が上昇してなかなかきついものがある。それでも頑張って観にきて、海外より少ない曲数ではあんまりだろう。怨んでいる(そもそも“Model Man”みたいな凡庸な曲をセットリストに入れないで“The Howler”あたりをやってくれた方が嬉しかったとか、いい出せばばいろいろあるが)。

 

 1981年のクリムゾン初来日の時、フリッパートロニクスが流れるなか”Discipline“、“Thela Hun Ginjeet”から始まって、ブリューが「あーかー」といって3曲目に“Red”が始まり、観客がどよめいた。あの瞬間の記憶が残っているだけに、“Red”を望む思いが強かったのだった。

 

 

最近noteにアップした過去原稿

-デュラン・デュランのメディア戦略――『ストレンジ・ビヘイビア』

-オジーシャロンとジョン&ヨーコ――オジーはいかにしてオジー・オズボーンになったのか

-『太陽と戦慄』の遺伝子は、生き続ける――キング・クリムゾン『太陽と戦慄 40周年記念ボックス』

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