ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

安部公房、YMO、セゾン、シンセ

 先日行った安部公房展。彼が1973年に演劇へ乗り出した際、西武流通グループ(~セゾングループ)代表・堤清二=小説家・辻井喬の後援があり、安部公房スタジオ第1回公演が渋谷PARCO9階の西武劇場(現・PARCO劇場)だったこと、2人が対談していたことが紹介されていた。

koboabe.kanabun.or.jp

(対談はこの本↓に収録されている)

 1978年にデビューしテクノ・ポップ流行を導いたYMOも雑誌「ビックリハウス」(パルコ出版)に連載を持つなどセゾンと浅からぬ関係があった。

 それに対し、ピンク・フロイド好きだった安部は、1976年にシンセサイザーを購入し、舞台音楽を手がけていた。

 1970年代当時はあまり意識しなかったが、安部とYMOは、セゾン、シンセという点で意外に近い文化圏にいたのだった。

 

 

最近の自分の仕事

-登場人物の「正体」をめぐる問いの連鎖ーー原作小説から読み解く、映画『正体』の狙い https://realsound.jp/book/2024/11/post-1857236.html

「学生運動と小説」

本の雑誌」12月号の浜本茂「学生運動と小説」では、柴田翔『されどわれらが日々――』、庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』など学生運動関連の小説がとりあげられており、その多くに私も触れていた。加えて私は奥浩平『青春の墓標』、高野悦子二十歳の原点』など運動世代の自殺者の手記も読んでいた。

 さらに私が入学した高校ではその10年前にバリケード封鎖が行われたのだが、残された当時の生徒の部室ノートや生徒会誌をめくりもした。そうした当時のありふれた高校生が書いた文章から、村上龍坂本龍一などが語るバリケード封鎖体験をイメージしたところはある。

 

 

最近の自分の仕事

-「アフタートーク 著者×担当編集者」第18回『正体』染井為人(作家)×吉田由香(光文社)の聞き手・構成 → 「ジャーロ」No.97

 

『かもめのジョナサン』

本の雑誌」12月号の英保キリカ「Z世代が読む昭和流行本体験記」では『かもめのジョナサンリチャード・バック五木寛之訳、1974年)が「大ヒットを記録するほどの魅力を、私は見出せませんでした」といわれていて、時代性というものを感じた。

かもめのジョナサン』の原著はアメリカで1970年刊。カリスマの栄光と失墜、自己探求、宗教性といった要素は、今ふり返れば、同時代にヒットしたザ・フー『トミー』、ミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』などと共通する。なかでもコミューンの形成と揺らぎといった展開が、この時代らしいと思う。

トミー

トミー

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1976年

「SPECTATOR 1976サブカルチャー大爆発」がスポットを当てていたのは『宇宙戦艦ヤマト』、『別冊宝島』、『地球ロマン』、そして『ロックマガジン』とパンク。同特集では特に注目されていないが1976年には村上龍限りなく透明に近いブルー』というサブカル文学も大ヒットした。だが、同作に登場するロックはドアーズ、ローリング・ストーンズなどだったし、パンク勃興の1976年においては古いものであり、文学の遅さがあらわれていた。

磯崎新

『日本の大衆文化はなぜ「終末」を描くのか』をめくっている。私も同題のようなテーマを『戦後サブカル年代記 日本人が愛した「終末」と「再生」』で考えたがその際、象徴的な人物の一人だと思ったのが、磯崎新だった。

磯崎新は、少年時代に見た戦争の焼け野原が建築家としての自分の出発点だとたびたび語り、「未来都市は廃墟である」とも書いていた。廃墟をイメージしつつ、人々が出入りする建築物を設計するという倒錯的な態度。そこに現代日本文化の根のようなものを感じた。

 

田中純の新刊『磯崎新論 シン・イソザキロン』の前口上が公開されている。「シン・イソザキ論は廃墟化にも見紛う破壊と解体こそを方法にする」。著者の『デヴィッド・ボウイ 無を歌った男』は面白くて取材もしたが、『磯崎新論』にも魅かれる。読まねば。

https://gendai.media/articles/-/141663

 磯崎新の代表作・つくばセンタービルの竣工とYMO散開は1983年。当時、磯崎はポスト・モダンのキーワードで柄谷行人浅田彰と結びついており、坂本龍一は柄谷、浅田の近くにいた。だから私はYMOを通して磯崎の建築論を読み、彼の建築論から坂本の音楽構造を理解するみたいな感覚もあった。

安部公房、安部真知、山口果林

本の雑誌」12月号の泉麻人「深夜ラジオと青春の読書」に、小峰元『アルキメデスは手を汚さない』(1973年)が山口果林主演「女子高校生殺人事件」としてドラマ化(1974年)された話が出てくる。私はドラマを見てから原作を買った記憶があるが、だいぶ後になって山口が安部公房の愛人になっていたと知り、驚いた。

神奈川近代文学館で開催中の安部公房展では、妻の安部真知が夫の作品の装幀や装画、舞台美術を担当しいかに貢献したかが前半で紹介される。だが、安部公房の演劇への進出に触れた後半になると山口果林宛の大入袋がたくさん展示されるなど、私生活の変化が透けて見える流れになっており、安部真知のデザインが好きだっただけになんともいえん気分になった。

https://koboabe.kanabun.or.jp/

 

 

最近の自分の仕事

-「ミステリが読みたい! 2025年版」国内総括、倉知淳『死体で遊ぶな大人たち』のレビュー → 「ミステリマガジン」2025年1月号

 

坂本龍一と山川健一の対談

本の雑誌」12月号の特集は、昭和にスポットを当てた「あの頃、君は読んでいた。」。私も「あの頃」読んでいた。70~80年代を対象にした座談会「紅白懐ノベ合戦!」に村上龍限りなく透明に近いブルー』以来、群像新人賞に注目したという話題が出てくるが、私もそうだった。

 中沢けい村上春樹より前、村上龍の翌年1977年の群像新人賞で優秀作だったのが山川健一だった(同年評論部門受賞が中島梓)。その後YMOがブームになったが、メンバーである坂本龍一個人を認識したのは、ロック評論もしていた山川と彼の対談(1981年「音楽の手帖 ビートルズ」掲載)からだったような記憶がある。

坂本龍一語録 教授の音楽と思考の軌跡』では、誰かとの対話のなかで発せられた坂本の言葉を解説したが、彼の対談や座談会を気にして読むようになった始まりは、山川健一との対談「ビートルズを超えて」だったはず。『語録』では同対談に触れなかったが、セックスピストルズは「最高だった」という山川に対し、坂本が「音楽として面白くなかった」と断じたのが印象的だった。