『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』、ようやく行って来た。なるほどこれはディズニー映画だなぁ、『アナ雪2』の時と似た気分になるなぁと思いつつ見ていた。ポリコレに配慮した多様性のキャスティング、役回りの分配でありながら、結局、血筋や家柄をロマンティックに扱っているし。

 前作でばらけたところを無理矢理収束に持ちこみ、エンディングであのシリーズ初公開作(エピソード4/新たな希望)と対応したシーンを持ってきた。まあ、ブックエンド形式的な終わりかたをすれば、途中がちらかり放題でも、さもまとまったかのような錯覚を誘えるものねえ、と意地悪に考えてもいた。でも、あの夕陽を見せられると、1977年の中学生時代にワクワクして見た身とすれば、当然記憶が蘇って感慨深く思うわけで、ずるいなー、ずるいなー、と。

 なんだかんだで楽しかったです。

 

 

松本清張と百田尚樹

 人気小説家でありつつ、自身の史観をノンフィクションとして語る。歴史学者からの批判はあっても、大衆や出版界は人気小説家に一目置き続けている。

そのようなありかたにおいて、今の百田尚樹って、松本清張の受け入れられ方とかぶってないか? と、この本を読みつつ思った。 

「松本清張」で読む昭和史 (NHK出版新書)

「松本清張」で読む昭和史 (NHK出版新書)

  • 作者:原 武史
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2019/10/10
  • メディア: 単行本
 

 

 ミステリ評論の分野では、「探偵小説を私は『お化け屋敷』の掛け小屋からリアリズムの外に出したかった」という清張発言にそって、彼を社会派のリアリズムと位置づけることが定式化してきた。

 ただ、小説はそうだとしても、清張の昭和史ノンフィクションに関しては、歴史学やノンフィクションの専門家から、GHQ謀略説に傾きすぎだと批判されてきたのだ。つまり、リアルではないと。その意味で清張は、昭和史を陰謀論のおどろおどろしさで彩られた「お化け屋敷」に入れたともいえるのではないか。

 ミステリの偉人として清張を扱った評論や評伝は最近よく刊行されているが、それらでも彼のノンフィクションにみられる偏向は指摘されている。原武史『「松本清張」で読む昭和史』の場合も、資料や証言者にまめにあたった綿密な調査、タブーを恐れず、タコツボ化する学問にはないスケールの大きな視野などを高く評価すると同時に、やはり不正確な内容を含むことに言及している。

 百田尚樹に関しても、小説がベストセラーになる一方、右翼的な陰謀史観による『日本国紀』が専門家からは批判されつつ、未だ多くの支持者を抱えているわけだ。専門家が記す堅苦しい歴史より、物語的な楽しめる歴史のほうがいい。そんな受容のされかたが、清張と重なる。『乱歩と清張』(郷原宏)、『乱歩と正史』(内田隆三)、『江戸川乱歩横溝正史』(中川右介)のように二作家カップリングの評伝が近年、相次いでいるが、百田と清張を対比して評するのもありではないか。ふと、そう考えたのだった。

 

 

最近の自分の仕事

-日本推理作家協会編のアンソロジー二分冊『沈黙の狂詩曲 最新ベスト・ミステリー』『喧騒の夜想曲 最新ベスト・ミステリ』の編纂委員、後者の序文

-「夜明けの紅い音楽箱」(とりあげたのは阿部和重『Orga(n)ism オーガニズム』)、探偵小説研究会のミステリを編みたいっ!(ベスト本格ミステリ21世紀) → 「ジャーロ」No.70

-テッド・チャン『息吹』、歌野晶午『間宵の母』、坂口恭平『まとまらない人 坂口恭平が語る坂口恭平』の紹介 → 「モノマスター」2020年2月号

-村田沙耶香『変半身』、穂波了『月の落とし子』の紹介 → 「小説宝石」2020年1月号 https://www.bookbang.jp/review/article/600313

-「2019年」を舞台にしたSF名作『ブレードランナー』『AKIRA』『図書館戦争』 ディストピアは現実に? https://realsound.jp/movie/2019/12/post-467499.html

-純文学雑誌は転換期を迎えている――『文藝』リニューアル成功が浮き彫りにした重い課題 https://realsound.jp/book/2020/01/post-477059.html

-横溝正史と西村京太郎はなぜ国民に愛される? 金田一耕助十津川警部シリーズが映した日本の社会 https://realsound.jp/movie/2020/01/post-477500.html

アイドル@ディストピア

ディストピア・フィクション論』では2010年代日本の同調圧力と歩調をあわせた曲としてAKB48恋するフォーチュンクッキー”に触れたが、当初はあとがきで欅坂46“不協和音”に触れようと考えていた。同曲にみられるように抵抗、あるいは戦争、世界の終り、ゾンビなど、ディストピア的世界観がアイドル・ソングで増えたと感じていたからだ。

 戦闘美少女的なイメージ付けとしてそうした設定が好まれるのだろうし、革命をモチーフに選ぶ例も散見される。だが、アイドルが多すぎて十分見渡せないし、書くのはあきらめたのだった。

 というわけで、その種の曲を適当に集めたこんなプレイリストを作ってみた。

 

アイドル@ディストピア

Spotify

『IT/イット THE END』『ドクター・スリープ』

 

 

 

  昨日の『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』に続き、今日もスティーヴン・キング原作の『ドクター・スリープ』を観た。キューブリック版『シャイニング』の続編でありつつ、キング原作版『シャイニング』の大きな要素もとりこみ、作品として両者の和解融合を図る高等戦術。よく練られていた。

『IT/イット THE END』と『ドクター・スリープ』は、過去の出来事とむきあう点が共通する。ただ、前者はルーザーズ各人の“自身”をめぐる物語であるのに対し、後者は子どもの時に助けられた主人公が、大人になって助ける側にまわる“役割”継承の物語。二作を日替わりで観て、その違いを面白く思った。

 

アナと雪の女王2』もそうだったが、『ドクター・スリープ』を観ていて『スター・ウォーズ』シリーズのようだと思うところがいくつかあった。相手の首をつかんでの吊し上げ、分身を用いての戦いといった個別の要素もそうだが、視覚的で具体的なアクション、スペクタクルと、ある種のスピリチュアルな精神主義ブレンドという配分のしかたに近しさを感じたのだ。

 しかし、『アナ雪2』はともかく、考えてみればスティーヴン・キングの作家活動と『スター・ウォーズ』シリーズは、いずれも1970年代にスタートしていた。キングのデビュー作『キャリー』の刊行が1974年、邦訳が1975年、ブライアン・デ・パルマ監督による映画化が1976年(日本公開1977年)。一方、最初に制作された『スター・ウォーズ』(エピソード4/新たなる希望)公開が1977年(日本公開1978年)。『キャリー』は『ドクター・スリープ』でも扱われる超能力を主題にした作品であり、『スター・ウォーズ』はフォースと呼ばれる超能力が、物語の中核となっていた。

 私は、キングの諸作と『スター・ウォーズ』シリーズにいずれも初期から触れてきた。両者は、超常現象に関する世間的なイメージ形成では同時代に長いこと並走してきたのだし、具象的表現とスピリチュアルな意味づけの配分が相似しているのも不思議ではない。『ドクター・スリープ』を観て、あらためてそう考えたのだった。

 

キャリー (1975年)

キャリー (1975年)

 

 

 

スター・ウォーズ

スター・ウォーズ

 

 

最近の自分の仕事

-新鋭・気鋭特集で井上真偽氏インタビューと作家紹介1つ、ランキングでは国内作品レビュー3つを担当 → 探偵小説研究会編著『2020本格ミステリ・ベスト10』

 

2020本格ミステリ・ベスト10

2020本格ミステリ・ベスト10

 

 

アイドル・シンギュラリティ

前編

sfgeneration.hatenablog.com

 

後編 

sfgeneration.hatenablog.com

 

前編の一色萌(XOXO EXTREME=キスエク)発言。

 アイドル性を前面に押し出して歌ったらアイドルソングになるような声の子がプログレを歌っているグループなんですよ、キスエクは。

 だから逆にプログレに寄せ過ぎると違う、みたいなところもあるんじゃないですかね。 

  見事な解説。プログレ+アイドルの違和感をかけ算にするってことだろう。

 イギリス的なプログレ・バンドだったキング・クリムゾンに陽気なアメリカンのエイドリアン・ブリューが加入した時、違和感で批判も多かった。でも、やがて受け入れられ彼も評価されるようになった。そのブリューがキスエクに「いいね」したのは感慨深い。

 ――と、めんどくさいこと考えるプログレおじさん。

ロジャー・ウォーターズ『US + THEM』、ピンク・フロイド『光』

 昨日、『ロジャー・ウォーターズ US + THEM』試写会行ってきた。紛争、難民関連のイメージが多く挿入され、“Pigs”を歌い始めると即座にトランプの顔が映される。工夫したヴィジュアルで抵抗のテーマを単純明快に打ち出している。また、過去の彼のソロ・ライヴと比べても声がよく出ている。充実作。

www.110107.com

 ピンク・フロイド『光 PERFECT LIVE!』リマスター版の試写もあった。唐突にブタが飛び、なぜかベッドが激突して爆発する。ブタに意味を持たせるウォーターズとは違うけど、コンセプトにこだわらないからこそ成立する、笑って観ていられるエンタテインメント。こっちはこっちで楽しい。

www.110107.com

 

 

「QUEEN SUPER FIREWORKS~夜空のラプソディ~」

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イベントのリーフレット

 昨日、浦安市では観光イベント「ウラヤスフェスティバル2019」が開催された。そして、同日には同市総合公園を会場にして東京湾・浦安芸術花火 特別企画「QUEEN SUPER FIREWORKS~夜空のラプソディ~」が行われた。

 

「ウラヤスフェスティバル」のほうではYOSAKOIなどのパレードが実施されたほか、複数ステージで歌やダンスなどが披露されたが、クイーン花火の前哨戦という位置づけなのだろう、トリビュート・バンドGUEENのライヴもあった。そちらのほうは、“Keep Yourself Alive”からスタートしてシングル曲ばかりのわかりやすい構成。特に後半では、映画『ボヘミアン・ラプソディ』で広く知られるようになったライヴエイドでの曲をすべて演奏し、ウケていた。そのうち”Bohemian Rhapsody”に関しては短縮版ではなくノーカット版である。スタジオ録音の再現を目指すバンド演奏とコミカルなフレディ波多江というGUEENの通常運転だった。

 

 さて、本題の「QUEEN SUPER FIREWORKS~夜空のラプソディ~」についてである。花火の表現と曲調が予想以上にシンクロしていて、とにかく見事な内容だった。

 空の左右へ交互に打ち上げることでステレオ感やフレーズの繰り返しを演出する。コーラスやギターのサウンドが厚くなるにつれ、花火を何発も重ねていく。メロディが高音になるとともに、花火が開く位置も高くする。かと思えば、無音の時間を作ったり、会場から奥のところで控えめに打ち上げるなど、タメの部分も設けて抑揚をつける。また、Aメロ~Bメロ~サビの1番と2番の繰り返しに対して、一連の花火の組みあわせも同様の構成をとり、しかもギター・ソロではデザインのパターンを変えるということもしていた。特にギター・ソロに関しては、長く尾を引いて光跡が残るものを使うことが多く、花火のキャラづけも行っていたようだ。ここに上げた通り、細やかな工夫が数多くみられたのである。

 特に、上記のような花火のデザインのパターンをまだ把握せずに見ていた前半は、ハッとする瞬間の連続だった。複数の光跡が空を斜めに走ってスタートした“I Want It All”など、花火によるハード・ロックだ、と興奮したもの。

 曲とシンクロさせるといっても、火薬の破裂のタイミングを完全にリズムと同期させることはできない。だが、フレーズの終わり、メロディの高音の頂点といった曲の節目節目に破裂するようにはなっていた。

 例えば、”Somebody To Love”だと、「さんばでぃ・とぅーー」で尾を引いて打ちあがり「らぁあぁ~~ぶ」で花開く。“We Will Rock You”では「うぃーうぃる・うぃーうぃる」で打ち上がり「ろっきゅー」で開く。また、”The Show Must Go On“エンディングの「ごーおぉん・ごーおぉん・ごーおぉん・ごーおぉん……」にあわせ、細かくパチパチパチパチ……とはぜる残響が長引きつつフェイドアウトし、曲の余韻を強調していた。

 こうした内容であったから、打ち上げをデザイン、演出した人=大矢亮が「花火コレオグラファー(振付師)」と名乗っていることに納得した。

 選曲についても、ただヒット・ナンバー、有名曲を並べたのではなかったのである。当日のセットリストは以下の通り。

 

  I was Born To Love You

  I Want It All

  Somebody To Love

  We Will Rock You

  Radio Ga Ga(Live)

  Hammer To Fall(Live)

  We Are The Champions

  Barcelona

  Living On My Own

  Let Me Live

  The Show Must Go On

  Bohemian Rhapsody

 

We Are The Champions”で終わるクイーンの通常のライヴをなぞるのではなく、かなり解釈と工夫が感じられる構成だ。前半ではまず、生を受け、すべてを手に入れようとしてライヴエイドにたどり着くまでの、映画『ボヘミアン・ラプソディ』で描かれたようなストーリーを想起させる。

 その後、モンセラート・カバリエと共演した“Barcelona”、本人の死後にリミックス・ヴァージョンがヒットした“Living On My Own”というソロ活動の曲が続く。フレディ・マーキュリー個人にスポットを当てるわけだ。そして、フレディ没後に残りのメンバーが完成させた曲のなかから“Let Me Live”が流れてくる。同曲はクイーンで唯一、フレディ、ブライアン・メイロジャー・テイラーの3人でリード・ヴォーカルをわけあった曲だ。「生かしてくれ」と歌うその曲から、最後までエンタテイナーであろうとして逝ったフレディを象徴する”The Show Must Go On“へとなだれこむ。後半は、フレディの後半生を描いたパートといってよい。

 ラストのアンコール的なナンバーとして、「Is this the real life Is this just fantasy これは現実の人生か これは夢幻ではないのか」と歌い出す”Bohemian Rhapsody”によって、fantasyみたいだった彼のreal lifeにあたらめて思いを馳せる……というような終幕。

 フレディの稀有な一生と、彼を支えたクイーンのメンバーへの理解とリスペクトが伝わってくる選曲と曲順だ。モーリス・ベジャールがやはり彼の解釈と選曲によりフレディの生涯を『Ballet For Life』と題してバレエにしたが、それに似て「QUEEN SUPER FIREWORKS~夜空のラプソディ~」にも独自の解釈があると察せられる。だから、演出した者にはベジャールと同じく「コレオグラファー」を名乗る資格、資質があると感じた。

 

 --と、いろいろ書いてきたけれど、べつに、それぞれの曲について、フレディやバンドにとってどんな時期に発表されたのか、どんな位置づけの作品で詞はどんな内容なのか、なんてことをまったく知らなくたって、音楽と花火の相乗効果だけで大きな快感が得られる。娯楽としてしっかり計算されていたのである。

 いいものを見せてもらったな、と素直に思った。

 

追記)浦安より前に行われた大阪でのセットリストは、また一味違うものになっていたようだ。こちらの流れにも工夫が感じられる。

https://www.osakahanabi.com/

 

 

 

最近の自分の仕事

-相沢沙呼『medium 霊媒探偵 城塚翡翠』、阿津川辰海『紅蓮館の殺人』の書評 → 「小説宝石」11月号

-誉田哲也『背中の蜘蛛』の書評 → 「週刊現代」2019年11/9号

-阿部和重『オーガ(ニ)ズム』インタビュー → 前編 https://realsound.jp/book/2019/11/post-442496.html 後編 https://realsound.jp/book/2019/11/post-442529.html