ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

DFA、LCDサウンドシステム

LCD SOUNDSYSTEM(CCCD)
ここ数週間、3枚組輸入盤《DFA compilation #2》ASIN:B0004NMJUCLCDサウンドシステム》を代わる代わる引っ張り出しては聞いている。もちろんその間、他の音もかけたりしているが(エアロとかクイーンとか懐メロばかり聞いてるわけでもないんである)、このDFA周りを聞くと、なにやら耳が掃除される変な気分になる。
DFAはいわゆるポスト・パンクを代表する界隈であって、ディスコ・パンク中心に、あれやこれやちょっとエクスペリメンタルなサウンドを聞かせてくれるわけだ。世間にいろいろ堆積していた音楽をゴミ回収車が持っていった後、なお地べたに残っていた音色を拾い集めてエイヤッとつぎはぎして鳴らしたみたいな歪んだポップ。耳が掃除される気分になるのは、この回収車が行ってしまった後の感覚があるから。
70年代後半〜80年代前半のオリジナルのパンク〜ポスト・パンクも、そんなもんだった。商業的にも内容的にも肥大したロックから、あれこれ削ぎ落としてむしろ積極的に「貧しさ」を選び取る無茶苦茶さが、せいせいした気分にしてくれた。でも、オリジナルのポスト・パンク、ニューウェイヴ、ノーウェイヴを語る時には、やたらと「ロックの解体」てな仰々しい言い回しが使われたのに比べ、最近のポスト・パンク・リヴァイヴァルには、あまり「解体」を感じない。闇雲に解体してただ瓦礫が積みあがるだけでもかまわないという類の、オリジナル・ポスト・パンクにあった殺伐とした印象はほとんどない。いったんバラしても、またいずれ組み上げる時期が訪れるんだから……ということをどこか前提にしているみたいな、見通しの冷静さが潜んでいる気がする。だから、「解体」というより「分解」のイメージが聞こえてくる。
スカスカした音像についても、「豊かさ」に対してあえて喧嘩腰で「貧しさ」を突きつける“価値判断”の振る舞いではなく「厚さ」と「薄さ」が並列な現状の光景にあって後者をただ選択した感触。ここらへんは、オリジナル・ポスト・パンクにあった力みまで削ぎ落としましたってことか(好意的に解釈すればだけど)。
とにかく、そっけない音色にそっけないリズムが気持ちいい。
ちなみに、《DFA compilation #2》日本盤は1枚に編集され近日発売だとか。ASIN:B0006M192K

  • 13日夜の献立
    • 赤飯(いただきもの)
    • あじの開き
    • 大根サラダ(大量のかつぶし+ポン酢)
    • 炒り銀杏(もらいもの)
    • ビール、ワイン
  • 14日夜の献立
    • 玄米+雑穀米(黒米、麦、小豆、黒豆など)
    • 切干大根
    • 茹でブロッコリー(マヨ)
    • なめこの味噌汁
    • エビにら卵(にんじん、しいたけ、エビを中華だし、しょうが、にんにく、しょうゆ、辛子&ゴマペーストで炒め、溶き卵、ニラを投入。最後に香酢とケチャップ)