ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

Perfume/「歌ってみた」

例えば、60年代にビートルズがヒットした時、最初からジョン・レノンポール・マッカートニーの声が聞き分けられた人は多くなかった、という証言がある。あのバンドはワーワー歌っているだけの騒音にすぎない、いや、そのワーワーこそが楽しいんだ――ということが論点だった段階で、声の区別などたいした問題ではなかっただろう。各人が個性をみせ始め、ソロ作の寄せ集め状態になった後期からさかのぼる形で、メンバーが交代で歌う初期作品のこの部分は誰が担当していたと認識し直した――そんな風だったと想像する。
また、独特のエコーがかけられ混然一体となって響くクイーンのコーラスにしても、フレディ・マーキュリー以外のブライアン・メイロジャー・テイラーがメインで歌った曲に親しめば、誰の声をどう重ねてハーモニーを作っているのか、やがてわかるようになる。
ワンルーム・ディスコ(初回限定盤)
相変わらず声にテクノ・ポップ的なエフェクトのかけられたPerfumeワンルーム・ディスコ〉に接し、いつのまにか、かしゆか、のっち、あ〜ちゃんの声を聞き分けられるようになっていた自分――というものに気づいた人もいるはず。マニア以外でも、彼女たちが新曲をリリースするたびに、その種の“聞き分ける人”は着実に増えてきたことだろう。「Perfumeの気になる子ちゃん」をはじめ、彼女たちの喋り声をテレビなどで聞く機会は増えたわけだし、そうなるのは必然だ。
となると、エフェクトをかけ、あえて声の個性を弱める手法をいつまで継続すべきか、次はどうする、というテーマがせり上がってくる。
ここで私が連想するのは、顔にペイントをすることで一種のキャラクター人気を得た70年代のKISSが、80年代にその仮面をいつとるか、素顔を見せる瞬間の価値をどう高めるかと試行錯誤したことだ。
地獄からの脱出仮面の正体リック・イット・アップ~地獄の回想
ご承知の通り、Perfumeのライヴは(ほんの一部、生歌を披露する以外は)、バンドもDJもなしの音源のみ+口パク+振り付け+MCで構成されている。とはいえ、彼女たちも《仮面の正体》ならぬ“仮声”の正体をみせ、素顔ならぬ“素声”を聞かせるその瞬間に今後の戦略のポイントを置くべき時は近づいている、と予想する。それをみたいという欲望が、↓のようなカラオケ企画につながっていたのだとも思うし。

ただ、↑や、テレビ出演などで他人の曲を歌った場面など、彼女たちが生歌を聞かせた機会の多くは、“一企画”としてだった。それについて、本筋でも本格的に取り組むべき時が接近している、と思うのだ。彼女たちは、アイドルとして普通以上に歌えるわけだし。
考えてみればPerfume人気は、初音ミク人気と同時多発的に生じた。そして、ボーカロイド初音ミクによるオリジナル曲を、逆に人間が「歌ってみた」動画の増殖ぶりを考えると、かしゆか、のっち、あ〜ちゃんが、Perfumeを素声で「歌ってみた」ライヴが計画されても不思議ではない。
あえて無機的に作られ無感情であるかのごとく歌われたPerfumeの楽曲群を、逆にあえて生のバンド演奏で情感たっぷりに「歌ってみた」3人。そんな姿が妄想されて気になる子ちゃん


  • 16日夜の献立
    • あじのみりん干し
    • 大根、レンコン、しいたけ、かんぴょうの煮物(味つけが薄かった)
    • ちんげん菜の炒めもの(長ネギ、サラダ油、ゴマ油、こしょう、ポン酢、香酢)
    • わかめと玉ねぎの味噌汁
    • 麦まぜ白米ごはん