しばらく前、この映画を見た。
優雅な宮廷生活にふさわしくクラシックの流れる場面が多いが、マリー・アントワネットが調子こき出すと、とたんにニュー・ウェイヴなロックが鳴り始める。ケーキを食いまくる時にはバウ・ワウ・ワウ〈アイ・ウォント・キャンディ〉、仮面舞踏会ではスージー&ザ・バンシーズ〈香港庭園〉といったぐあい。宮廷におけるマリー・アントワネットの異端児ぶりを、ニュー・ウェイヴに象徴させている。
そのように、クラシック(守旧派)VSニュー・ウェイヴ(新参者)の図式で進む映画は、終盤で一転する。音楽が消え、聞こえてくるのは、宮殿のすぐ外に集まった群衆の怒号、浪費を繰り返した王妃への罵声だ。
作中では、王妃の肖像に批判の言葉が殴り書きされた光景が映るが、これは〈ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン〉のジャケットを思い出させる。パンクの代表、セックス・ピストルズが王制に唾を吐いた同曲に関しては、目と口を文字で塗りつぶした女王の顔がデザインに使われていた。また、『MARRIE ANTOINETTE』という映画のロゴも、ピストルズが使っていたロゴのデザインをなぞっている。ソフィア・コッポラは、フランスの民衆の怒りをパンクと重ねあわせているのだ。ピストルズなどパンク第一世代の音楽が流れるわけではないけれど、ここにはパンクの刻印がある。
ということは、つまり、この映画は音の面では、ニュー・ウェイヴ的な狂騒がパンク的な爆発によって打ち消されるという、実際のロック史とは逆向きの推移を描いているともいえる。
驚いたのは、幕切れ。宝塚版『ベルサイユのばら』の場合、「マリー・アントワネットはフランスの女王なのですから」と、歌舞伎のように大見得を切ってから、堂々と断頭台に向かうのが見せ場になっていた。ところが『マリー・アントワネット』では、宮殿から脱出する段階で、もう話が終わってしまう。
ソフィア・コッポラは、宮廷生活の内部に閉じ込められ、外部を知らなかったマリー・アントワネットに寄り添うことで物語を作っている。基本的に、宮廷生活の外部は映されない。華美で人工的な宮廷生活を送る一方で、自然を模したプチ・トリアノン宮殿にのめり込むマリー・アントワネットは、箱庭のなかに箱庭を作ってもらい、喜んでいる。外部を知らないそんな彼女の倦怠をとらえたいという、ソフィア・コッポラの狙いは理解できなくはない。しかし、退屈さを描くうちに画面まで退屈になってしまった部分もある。
その点、男装の麗人オスカルというキャラクターを自在に動かすことで、国のいろんな階層を浮かび上がらせた池田理代子『ベルサイユのばら』ASIN:4086179113ナミックな語り口は偉かったなぁ、と今さらながら思う。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20061220)
- 作者: アントニアフレイザー,Antonia Fraser,野中邦子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2006/12/01
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 4回
- この商品を含むブログ (20件) を見る
- 14日夜の献立
- いわしの丸干し
- がんもどき、大根、れんこん、にんじん、しいたけの煮物
- ふきのとうの佃煮
- 長ネギのマリネ
- 大根の葉と玉ねぎの味噌汁
- おからとひじきの炒り煮
- 黒米、雑穀入りごはん
- ライスチョコ(市販品)
- 16日夜の献立
- ロールキャベツ(カットトマト缶、赤ワイン、ケチャップ)
- レンコン、にんじん、切干大根の炒め煮
- 黒米、雑穀入りごはん