ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

「ご用の方は内線を」について

なんか打ち合わせとかで、会社さんに行くと、そこには電話機があって、「ご用の方は内線×××へ」とか、担当者名と番号の対応表が貼ってある。


そのなかで「人と人との触れ合いを」とか言われると、あれ?と思わないでもない。


「こどものもうそうblog」から抜粋http://blog.lv99.com/?eid=957997

この文章↑を読んで、思い出したことがある。
僕は、一般企業を取材する業界紙記者をしてきたので(以前は正社員。フリーになった今でも契約仕事で一部続けている)過去に多くの会社・団体・役所を回ってきたが、90年代にはもう「ご用の方は内線を」パターンはあった。それが、人件費削減やセキュリティなどの関連で最近増加しているのだろう。たぶん。
で、かつての僕の経験。
あるメーカーの営業本部長だったかにダイヤルインで電話し、事前にアポをとって会社に行き、入口の「ご用の方は内線を」で本人に直接電話して応接室に通され、そこで聞いた話を記事にした。すると、その会社の総務部だか広報室だかからクレームが来た。
「総務部(だか広報室)を通さない取材で当社の人間が発言しても、それは当社全体の見解とはいえないのだから、当社の記事として書くな」
これをいいかえると、企業という「法人」(=法律の規定で「人」の権利能力を与えられたもの)と社員「個人」は違うってこと。企業や団体が相手の場合、「人と人との触れ合い」をめぐって、「法人」/「個人」という「人」の区別の問題がつきまとう。
そういえば、(べつに取材じゃなくとも)社員個人に直接電話されること自体を嫌がる会社もあったな。その場合は代表番号や総務部などにかけてから、電話を回してもらうしかなかった。こういうのも、ダイヤルインの普及で減っていると思うけど。


以上のようなことは、家庭の電話の変遷とある程度パラレルなのだろうか。昔は、まず家に1台ずつ電話が普及していく時期があり、続いて親機&子機システムの広がりで子ども部屋にも電話が入り込んでいった。でも、親と子が別番号にしている例は少なく、受話器を取り上げた人は、いわば会社の代表番号・受付みたいな立場になったわけだ。「エンドーです」と応答しても、それは「エンドートシアキです」ではなく「エンドー家です」を意味した。しかし、「法人」/「個人」にも似た家/個人の区別も、1人1台のケータイ時代に移り、電話番号=個人が普通になった。


一方、家族型経営といわれてきた日本企業も雇用形態の変化で非家族化している。であるならば、代表番号・受付(「法人」「家」的な入口)の扱いが相対的に低下し、ダイヤルイン・内線(「個人」寄りの入口)が優勢になってきたのも、人件費やセキュリティといった制約的な条件が理由になっているだけでなく、電話番号=個人という感覚の一般化も普及の背景にあるのではないか。


「ご用の方は内線を」から、いろんなことが考えられそうだ。というか、今後、考えてみよう。

びっくり電話(紙ジャケット仕様)

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