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豊崎由美責任編集「書評王の島」vol.5巻末には「次号妄想予告」なるものが掲載されており、次号で円堂都司昭は「『皿洗い』の解像度(レゾリューション)」なるコラムを書くと妄想されている。それはたぶん、こんな内容だと想像される。
汚れ落としが雑でカスがまだこびりついていることが目視できる。これを皿洗いにおける低解像度(ロー・レゾリューション)と呼ぶ。
一方、表面にはなにも残っていないように見えるが、指先で触ってみると洗剤のぬるつきが残っている。この不可視の余分までしっかり流し落とすのが、皿洗いにおける高解像度(ハイ・レゾリューション)である。
低解像度段階の皿洗いに適しているのは、とりあえず汚れを落とすための物理的なパワーが感じられる音楽だ(メタル、パンクなどラウド・ロックとか)。
これに対し、高解像度段階の皿洗いにふさわしいのは、リズムや音圧よりもテクスチャーが重視されており、指先の微細な感覚を呼び覚ますような音楽だろう(イーノ系アンビエント、フォークトロニカなど)。
それでは、低解像度皿洗いから高解像度皿洗いへの移行をスムースに果たすためには、どのような曲順のBGMにすべきなのか。――その答えはすでに「生活考察」3号の「わたしの「Music For Dishwashing」(円堂都司昭×栗原裕一郎×蓮沼執太)で示唆されていたのだった(というステマなオチでどうでしょうか)。