昔読んだ中上健次のある発言が強烈に記憶に残っていて、最近になって今さら気になりだした。時期的にみて『中上健次1970-1978全発言I』、『中上健次1978-1980全発言II』だろうと思ってめくってみたが見当たらない。じゃあ、これかと、柄谷行人との対談『小林秀雄をこえて』をめくってみたらあった。
「私」とか「ぼくは」とか……そういうやつは、おれはきらいなんだよ。「ぼくって何……」と言っているやつを、なぐってやった(笑)。
この中上発言を受けた柄谷は、「同感だね」と応じている。ひどい話だ。
実際に殴られたのは1977年に『僕って何』で芥川賞をとったばかりの三田誠広。その時、三田の肋骨にひびが入ったと、後に見城徹が『編集者という病』に書いていた。
三田の2年前には中上が芥川賞を受賞していた。2人の間の1976年に受賞した村上龍『限りなく透明に近いブルー』を読んだのをきっかけに、私は芥川賞の存在を認識したのだし、関連記事を多少読むようになっていた。この殴った話は当時から雑誌などでネタにされていたから、私は高校生の頃に、芥川賞、文壇、なぐりあいというイメージがすりこまれてしまったのだ(笑)。
で、前記の『全発言II』をみると、津島佑子、高橋三千綱、高城修三も同席し中上、三田が参加した当時の若手座談会が収録されている。その冒頭での三田発言は、
中上健次のことを“田舎者”などと書いたものだから、中上さんにブン殴られてしまいまして、それで今日もブン殴られるんじゃないかと、内心ビクビクしながら話しているわけです。
と、せっかく被害者自らネタにしている。なのに、そのことはスルーして中上は、
自分だけの事をしゃべると、突き詰めてものを考えなくちゃいかんなという状態になっているんだ。
と本当に自分だけの事を喋り出す。なんて勝手なやつなんだ。
時期としては、1977年に三田が『僕って何』、中上が『枯木灘』を発表していて、双方の代表作だけど対照的な内容だし、そりゃ気があわないよね、という。
ただ、文学史的評価は、柄谷が盟友だったこともあって中上の『枯木灘』の方が圧倒的に高くなったけれど、実際の後の文学はむしろ『僕って何』の延長線上に存在しているものの方が多いとしか思えない。そのへんのことについて、いずれ書いてまとめたいと考えている。