ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

1965年映画『コレクター』

※以下で結末に触れる。

コレクター [DVD]

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男は、一方的に目をつけた女を誘拐し、自宅に監禁する。性的関係を強要するためではない。そんなことは、金さえ払えば他の場所で可能になる。彼は、女に自分を理解してもらい、愛してもらおうと考えたのだ。
女は、最初は反発する。だが、事態が好転しないとみると、無事にここから帰るために態度を和らげ、男に話しをあわせたりするようになる。その過程で二人には、奇妙な距離の近さが生じる。ストックホルム症候群だろう。
彼女は男を誘惑するそぶりをみせ、色仕掛けで騙そうとしたのだろうと、逆に相手を怒らせてしまう。女は、男をスコップで殴りつけ、せっかく敵にダメージを与えたというのに、死んでしまわないかと心配したりする。
とはいえ、蝶の採集、標本化を趣味とする男と、女との精神的なギャップは埋まらない。サリンジャーピカソを好む美大生である彼女に対し、男は、お前らは賢ぶって無教養な自分を馬鹿にしているのだろうと激高する。この映画で一番恐ろしい場面だ。それでも彼は、彼女を手放そうとはしない。なんとかなるのではないかと、女との関係に希望を抱き続ける。
結局、女は病死してしまい、男は、次のターゲットを探そうと心を切り換える。今度はインテリっぽくない相手を選べばいいと、昆虫採集に出かけるように、また行動を起こす……。
ジョン・ファウルズの同名小説を原作にしたウィリアム・ワイラー監督のこの映画は、いわゆるストーカーの思考パターンのありかたを活写してみせた古典である。そして、久しぶりに見返したこの映画は、『美女と野獣』のヴァリエーションととらえることもできる内容を持っていた。
そばで暮らすことを強要した相手とやがて理解しあうようになり、愛されるまでになった結果、野獣は王子に変わる。『美女と野獣』の場合、野獣に優しさや知性があったがゆえに、そのような成り行きとなった。
しかし、それが王子などではない、コミュニケーション能力に欠けた、ただの無教養な男であった場合、『コレクター』のような犯罪者になってしまう。
人間心理のおぞましい部分を描いた傑作だ。


インテリどもが無教養だからと俺を馬鹿にしやがって――と主人公が激怒して被害者女性を震え上がらせるシーン。この種の人々が束になって盛り上がってざまあみろといってるのが、今のアメリカのトランプ現象なのではないか――なんて思って映画を見ると、ますますゾッとします。