ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

「大人のロック!」「月刊プレイボーイ」「ロック栄光の50年」

(「クロ(ック)ニクル/グラフィティ」No.4 2005/03/04記)
最近、日経BP社から「大人のロック!」と題したムックが発売された。柱となっている記事は、エリック・クラプトンビートルズ、クイーンであって、60〜70年代に重心を置いているのは明白。ホール&オーツやスティングなど一部80年代栄光組も登場するにせよ、彼らにしてもMTV時代にあっては、わりと70年代臭を引きずっていた連中だ。「アエラ・イン・ロック」が幅広い層を狙って網羅的になっていたのに比べると、「大人のロック!」は文字通り“大人”っつうか、“オヤジ”であることに開き直ってる分、逆に潔い気がした(というか、前にも一冊「大人のロック!」は出ていたので、それと似たものを朝日新聞社が企画した際、差別化しようとして対象年代を広げたのかもしれない)。
それにしても、「大人のロック!」は、男臭い紙面である。クイーンのように昔“女の子”に絶大な人気を誇っていたバンドが登場していても、“大人の女”がこのムックを読むところは想像できない。この世代の女性は、現在進行形の韓流スターに入れ込むようなことはあっても、過去のことを反芻することはあまりないようだ。なぜだろう?
“大人”系ロック・ムックで、バンドと女性ファンの関係性が書かれることは、しばしばある。けれど、それは女性読者向けの記事というより、男性読者に対して、君たちの同級生だった女の子たちは今――てな感覚でまとめられることが多いと思うのだ。
そういえば、「月刊プレイボーイ」最新号も、エリック・クラプトンジミー・ペイジジェフ・ベックの三大ギタリストを特集している。同誌日本版が創刊された70年代には、白人女性のヌード掲載に希少価値があった。でも今では、そんなもんをありがたがる感性を残存させているのは、三大ギタリストを神格化していた“オヤジ”世代くらい。ということを考えると、「月刊プレイボーイ」のヌードグラビアは、現在進行形の若い性欲を掻き立てるものではなく、昔も自分は性欲強かったのになぁ、と“オヤジ”がありし日の自分の股間の勇姿を懐かしむためにある気がしてくる。ロックなんかも当然、“性欲”的なものだからして、三大ギタリストもそのように懐かしまれてるんだろう。クラプトンをコピーしてた頃の自分は、血気盛んだったよなぁ、とか。
しかし、女の人はロックに対しても性欲に対しても、こうした類のノスタルジーはあんまり抱えない印象がある。過去のスターより現在進行形のスターが大切、今の私の性欲が問題なの、って感じ。
Rock In Golden Age (ロック イン ゴールデン エイジ) ?ロック栄光の50年? 1号 [雑誌]
講談社が、「ロック栄光の50年 ROCK In Golden Age」と題した、ファイリング分冊百科風の全30冊シリーズを始めた。創刊号ではビートルズアメリカに上陸した「1964年」を特集しているが、以後、年代ごとに刊行していくという。その予定リストをみると、60〜70年代に関しては1年か2年ずつの刻みで編集するのに、80年代から現在までについては、1冊の対象年間が10年以上とどかんと広くなり、駆け足になる予定が組まれている(逆に50年代からのビートルズ以前も駆け足になってる)。自分が子どもだった頃のことはよく覚えているが、最近のことはどうも時間の流れが早く感じられて思い入れも薄い――そんな年齢層向けの企画なのである(分冊百科的シリーズにも、通販のCDボックスセットと同等程度の情報“把握欲”を煽るところがありますね)。
こうして「大人のロック!」、「月刊プレイボーイ」、「ロック栄光の50年」の出版動向を眺めていると、“大人”のロックがそれなりに商売として注目されているんだな、と感じる(僕にももっと仕事下さいね)。
そして、気づく。「大人のロック!」が、「日経キャラクターズ!」増刊の扱いになっていることに。「日経キャラクターズ!」とは、おたくカルチャーが有力なコンテンツビジネスと見られ始めたことに着目した日経が創刊した雑誌でしょ。そこから“派生”する形で「大人のロック!」が刊行されている。サブカルチャーとして成立した時代的な順番では、おたくよりロックのほうが先輩だったわけだが、現在的なコンテンツビジネスとしては、まずおたく、ついでロックなのだな、と思わされた次第です。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20050223