ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

「ユリイカ 特集 雑誌の黄金時代」

ユリイカ2005年8月号 特集=雑誌の黄金時代 紙上で見た夢
見ようによっては、「特集 ブログ作法」の姉妹編的な特集。
落ち着いて感想を記す余裕がないので、思ったことを、走り書きで2点ばかり。


近藤正高id:d-sakamataが調べの執念をみせた(お疲れ様でした)「みーんな投稿欄から大きくなった サブカルチャー雑誌・投稿欄盛衰記」では、当然のごとく「ロッキング・オン」が取り上げられている。この雑誌が投稿中心で部数を伸ばした70年代は、渋谷陽一が同誌編集長の肩書きと同じかそれ以上に、ラジオのパーソナリティ(「若いこだま」「サウンドストリート」)として知られていた時代。かつては、深夜放送を中心に、ラジオは若年層向けメディアとしてもっともっと存在感があったわけで、そうしたラジオ番組でも投稿の紹介は大きなウェイトを持っていた(ハガキ職人ってやつですな)。
で、「ロッキング・オン」に投稿するってことには、ラジオのパーソナリティである渋谷に向けて文章を書くって感覚が少なからずあったように思う(FM放送だった「サウンドストリート」なんかは新譜紹介主体で、番組内での投稿紹介は少なかったのだが)。「ロッキング・オン」に限らず、雑誌の投稿全盛期とラジオに勢いがあった時期は、けっこう近い気がするんだけど、実際はどうなんでしょう? 「ビックリハウス」の2代目編集長高橋章子なんかも読者との距離が、パーソナリティとリスナーの距離に近かったと思うんだよな。


一方、近藤の原稿は、「ポンプ」にも触れている。「ロッキング・オン」の創刊スタッフの一人だった橘川幸夫id:metakit編集長は「ポンプ」の誌面を徹底的に投稿で溢れさせ、編集する側のチョイスやコントロールをできるだけ感じさせない方向に持っていこうとした。これは編集長(あるいは投稿コーナーの仕切人)やラジオのパーソナリティといった存在を中心に投稿を集めるのではなく、みな平等に多中心化しようとする試みだったのだろう。
近藤もそうしているように、「ポンプ」を振り返る際、インターネットに喩えることが多いが、この雑誌は希望する人がやはり投稿で呼びかけて、オフ会的なものがよく開かれていた。その中に、「代々木公園でだるまさんが転んだをしたい」と岡崎京子が参加を募ったことがあったと記憶する(バックナンバーが手元にないので詳細を確かめられない)。
確かその時、学校のクラス以上の人数は集まったはずで、イラストを投稿していた時代からすでに彼女は、ぷちアイドル的存在だったわけだ。その意味では、「ポンプ」の基本コンセプトに反して、人の集団はどうしても中心的存在を求めてしまうものだという、皮肉な状態ではあったのだけれど……。


他にも面白い記事があって感想書きたかったけど、余裕ないわ。テープ起こし終らねえんだもん。

  • 3日夜の献立
    • オリーブオイル、ガーリック、塩こしょう、赤ワインで焼いた鶏肉&オニオンスライスにラタトゥイユをかける
    • おから、ひじき、にんじん、ごぼうの炒め煮
    • 小魚(名前がわからん)の佃煮
    • 玄米1:白米1のごはん
    • 雑酒発砲酒