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「濃縮新雑誌」と銘打って創刊された「エクス・ポ」は、本当にみっしり文字が詰め込まれている。確かに、誌面に濃縮感はあるのだが、やはりあまりにも文字が小さすぎやしないか。
「エクス・ポ」の編集発行人である佐々木敦は、「群像」2月号ASIN:B0011Y9VQ8「いまなぜ同人誌なのか」で、こう述べていた。
二〇年くらいライターとして生活していると、雑誌でデザインのリニューアルみたいなことがあって、そうすると原稿の文字量が減るという現象がしばしば起きるんですよ。
僕は、この読みやすく、ということがすごくイヤで、だって読者は読みたいから雑誌を買ってるのに、どうしてさも読み飛ばしてくれとか、読み捨ててもいいよと暗にいっているみたいなことを、本をつくっている側の人間がいうのかと思ったんですね。
リニューアルに伴う文字量減は僕も経験してきたし、だから活字の詰まった濃縮雑誌を出すのだという動機づけはよーく理解できる。でも、それにしても文字、小さい。
「エクス・ポ」の場合、佐々木敦を筆頭に、豊崎由美、仲俣暁生、栗原裕一郎など、40代の参加者がちらほらいる。この年代は老眼が始まるか始まらないかという微妙な頃なわけだが、「エクス・ポ」参加40代は「自分たちはまだ小さな文字読めるよん」と暗に主張してるのだろうか。とはいえ、校正する時は、いくらなんでも文字を拡大したコピーで読むんだろうし、じゃあ、完成品の小さな文字列をきちんと読み返している40代参加者がどれだけいるのか、聞いてみたい気もする。
「InterCommnunication」64号の「特集 音楽/メディア ポストCD時代のMAKING MUSIC」に、渋谷慶一郎と佐々木敦の対談が掲載されている。そこで佐々木は、『(H)EAR』でも取り上げていた可聴範囲ギリギリのサウンドについて触れている。
例えばベルンハルト・ギュンターやリチャード・シャルティエとかが、最初の時期に、人間の可聴域よりも外の音、あるいは可聴域ギリギリの音を使って何かをやったのは、方法的なアイデアとしてはすごく面白かった。
「聞こえないけれど、これも音楽なのだ」と言うときの、認識としての面白さを、僕はもちろん否定しない。ところが、それってある意味で「出オチ」みたいな部分があって、言っていること自体は斬新だけれど、その先まで考えようとすると、どうしてもあとから美学を導入しなくてはならない。
「エクス・ポ」の読めるか読めないかという小さな文字も、上記と似たような意味で「出オチ」に近いと感じるのだが、どうか。
要するに、僕がいったいなにをいいたいかというと、「エクス・ポ」創刊号が通販で届いた時、「ああ、メガネを買い替えなきゃダメだな、こりゃ」と決意させられたが、買いに行く余裕の作れぬまま同2号を購入してしまい、「小さい文字を読むのは疲れるなぁ」とまたもや思い知らされたので、かつてコーネリアスがイヤホンをCDの付録にしたみたいに、3号では拡大鏡を付録にしてくれよ、と主張したいわけだ(笑)。
- 作者: 佐々木敦
- 出版社/メーカー: 青土社
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