ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

浦安三社祭まであと3日(東京ディズニーリゾートと富士山)

僕の住んでる周辺の道は、もう、提灯だらけ。祭の支度は整いました、って状態。
今朝、配達された浦安市の広報紙に、三社祭開催に伴う交通規制の範囲が告知されていた。なにしろ、4年に一度しか開催されない大イベントである。100基以上もの神輿が町中に繰り出すのだ。今週末の金曜夕から日曜日までは、道路は車やバスではなく神輿が支配する。
三社祭は、浦安のなかでも、昔から人が住んでいた元町と呼ばれる地域で行われる。東京メトロ東西線浦安駅周辺だ。一方、JR新浦安駅周辺のマンションが建ち並ぶ埋立地域は新町と呼ばれる。そのお隣、舞浜駅前に広がる東京ディズニーリゾート埋立地である。路地裏に入ればところどころいまだに昭和30年代的な家が残る元町と、“夢の国”として徹底的に整備された東京ディズニーリゾート。同じ浦安市内でも、まったく雰囲気が違う。
しかし、考えてみると、お祭りの原理は同一だ。ディズニーランドで、来場者の通り道になっているただのアスファルト道路が、パレードの時間になるとミッキーやドナルドたちの踊り演じるスペースになる。それと同じように、三社祭の期間だけ元町の道路は、住人たちによるお神輿パレードのステージに変わる。毎日営業しているディズニーの祭りと、旧漁村が催す4年に一度の祭り。一方はシステマティックに運営され、もう一方は浮かれ気味の住人たちがのん気に飾りつけして準備する。やり方の違いは大きいが、普通の場所が祝祭空間に変じる落差を楽しむという、お祭りの原理は一緒である。
東京ディズニーリゾートの祝祭と三社祭の共通点は、それだけではない。――注目すべきは、山だ。
昔、ディズニーランドを日本に誘致しようとした時の候補地に、浦安以外に富士山麓があったことは、わりと知られている。ディズニーのキャラクターが暮らす外国風の夢の国を演出しようとするのに、和風のシンボル=富士が視界に入ったのでは興ざめだ、という判断が浦安選択の一因だったとされている。しかし、東京ディズニーランドの成功後、日本側運営会社オリエンタルランドの立案で増設された東京ディズニーシーには、中心に大火山の模型が設置された。まるで、富士の代わりみたいに……。天気が非常にいい日だと、高架を走る東西線からほんものの富士山が見える。その富士のシルエットとディズニーシーの人工火山の形がちょっと似ているので、車窓から眺めていて戸惑うこともある。
ディズニーランドでは敷地の中心部にシンデレラ城というランドマークを置くことで、客が自分の居場所をわかりやすくする意味がある。ディズニーシーの人工火山にも同じ意味があるが、ほかの形でもいいはずなのに、日本側立案による増設パークのランドマークが火山になったのは面白い。一度は富士を避けたはずなのに、結局、富士に回帰したみたいにみえる。そもそも、浦安自体が、富士山信仰のあった町なのである。富士山麓から遠ざかっても、その影からは逃れられなかったってことか。
ありがちだけれど、浦安にも富士見という地名がある。そして、今回、大祭を行う三社である清瀧神社、豊受神社、稲荷神社には、いずれも境内に富士塚がある。富士塚とは、溶岩や土を積み固め、富士山に見立てて祀ったもの(=浅間神社)。かつては、富士山を信仰する組織、富士講が浦安でも活動していたが、現在はなくなり塚だけが残っているのだという。
富士山信仰との拮抗関係を一つのテーマにした評論に、桂英史『東京ディズニーランドの神話学』があった。
東京ディズニーランドの神話学 (青弓社ライブラリー)
ただし同書は、ディズニーシーが2001年に開園する以前、1999年の刊行。また、せっかくの着眼点なのに現地浦安を取材しなかったせいだろう、三社の富士塚には言及していない。富士塚という人工富士と、ディズニーシーの人工火山。この対比から、新たなディズニー論を立ち上げることも可能かと思う。そこらへんはやっぱり、地元住民である僕が発展的に書くべきでしょう(以前にほんのさわりだけコラムにしたことはあったけど、もっと長く書ける切り口だと思うんだよね)。原稿依頼待ってまーす(笑)。