ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

野又穫『カンヴァスに立つ建築』

これまた昨日の話。ピストルズ展に行くすぐ前には、東京オペラシティアートギャラリーに行っていて、野又穫『カンヴァスに立つ建築』展をたまたま見たのだった。空想建築を絵画にした作品が並んでおり、骨組が透けていたり非対称だったり、てっぺんに大きな球体がのっていたり、微妙に不安定さを感じさせる塔が多かった。だが、極端に非現実的なものはなく、構造力学とかはシロウトの僕にはまるでわからんが、けっこう建てられそうだった。日頃、館ミステリを読んでいる身としては、この手の異形の建物を考える楽しさはよくわかる。ただ、最初のほうの展示スペースを回った時点で、ちょっと作品内容が一本調子かな、と思ったのも正直なところ。
しかし、進んだ先の展示スペースで、ハッとした。絵が壁にかけられるのではなく、何枚も天井から糸で吊るされていたのだ。そのスペースでも、空想建築が林立しているのだけれど、言い換えると、林“立”ではなく林“浮”なわけ。たとえそれが空想であっても、「建築」がテーマである以上、絵画のなかでは安定性が装われている。なのに、吊るして展示することで、それが砂上の楼閣(この場合は“空気上”のか)にすぎないことをあえて暴露している。吊るされた建物が並んでいるのを見た瞬間、なんだか自分が足ばらいをかけられて身が不安定になってしまったような、不思議な感覚になった。この展示方法にはちょっと感心した。
さて、初めて接したつもりでいた野又の絵について、スペースを回るうちに、いやどこかで見たことがある、石田衣良の表紙だったかな(上の画像)と思い出し、確かめるため帰りに本屋に回った。そして、そうだこれこれと手にとったのが下の本。ガラスっぽいということで、僕のなかでイメージがごっちゃになっていたのだ。まあ、単純な勘違いなのだが、なんだか印象が近くありませんか? 展覧会のリーフレットに掲載されたインタヴューでは、野又は自分のモチーフに関し、「最近は仮設建築が多いですね。布、ガラスなど移築可能な建築素材が増えました」と答えていた。そして、アキハバラってのは、どうも仮設建築的な街並みなのである。そこがオウムのサティアンを連想させるんだよな、とまたもや思わされた次第。
アキハバラ@DEEP