ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

ティルマンス展、仲俣暁生『極西文学論』

上記『カンヴァスに立つ建築』展を、たまたま見る成り行きになったのは、ヴォルフガング・ティルマンス展に出かけたら、チケットの内容が抱き合わせだったからだ(これは恨み言ではない。空想建築の数々も楽しめました)。
仲俣暁生id:solar)『極西文学論 Westway to the World』の表紙写真が気に入ったので、会期が今日までだったティルマンス展に出かけたのだった。
極西文学論―West way to the world
それにしても著者は、よくこの写真に出会えたものだ。しあわせ者である。高々度から地上を見下ろす「世界視線」(吉本隆明の用語)が重要なキーワードの一つになっている同書にとって、あれほどふさわしい写真はない。


ティルマンス展の内容は風景や静物ポートレートなど被写体の種類が多岐にわたっていた。まちまちのサイズの写真が計算され配置されているので、見る側が壁に近づいたり遠ざかったり運動しなければならない。写っている内容自体にはさほど動的な印象はないのに、こちらの「視線」は動的であることを求められる。そんな展示のしかた。
それにしても、エイフェックス・ツイン=リチャード・ジェイムスの穏やかな表情の写真には、妙な気分になった。あの人の場合、ASIN:B000002HOFASIN:B00000I8U7たいに変な表情、変な風体のほうがイメージとして多く流通しているわけだから。一方、モリッシーの写真は、ただのおじさんでした。


『極西文学論』は、アメリカを基点に日本の位置を考える際、大西洋経由の極東とするのが当たり前になっているのに対し、太平洋経由の「極西」とする見方を押し出し、そのうえで舞城王太郎吉田修一阿部和重村上春樹らの同時代小説を読む、ということをしている。ディズニーというアメリカを抱えた“極西”の浦安に住む身としては気になる内容で、「群像」連載時から読んでいた。この本については、いずれ機会をあらためて書きたいと思っているので、今日は簡単な感想だけ。
日米関係で小説を読んだ評論としては、過去に江藤淳『成熟と喪失』、加藤典洋アメリカの影』、磯田光一『戦後史の空間』などがあるが、本書にはそれらへの言及はない。また、『極西文学論』には「路上と森」という章があり、風景を論じた従来の文芸評論であれば“路地の中上健次”“四国の森の大江健三郎”へと話を転がすのが定番だったのに、それもしていない。純文学雑誌に連載されたことを考えると、これはけっこう冒険的な書き方だったのかもしれないと思い当たる。
サイモン&ガーファンクルビートルズローリング・ストーンズ、クラッシュなどロックへの言及も多い本である。これらのアーティストのファンでその社会背景に興味がある人、モンタレー・ポップ・フェスやウッドストックの出演者、あるいは映画『地獄の黙示録』のサントラで流れていたあたりのロックのファンで小説や評論が好きな人は、刺激を受けるだろうから読んでみるといい。




というわけで、今日の雑記は、ピストルズ展の感想に始まり、クラッシュに触れたあとがきで閉じる本の紹介で終る。パンクによる《ブックエンド》形式ですね(と書くことが、サイモン&ガーファンクル狂言回しに使った『極西』を意識しての、曲名にひっかけたオチなのだということを何人が理解するだろう?ASIN:B0000W3RKI


昨日はイヴだった。クイーン・ファンとしては〈キラー・クイーン〉の歌詞にひっかけてモエ・エ・シャンドンでも呑めばよかったのだろうが、我が家の家計的にはリーズナブルではなかったので、より安価なスパークリング・ワインですませたのでした。