ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

船橋ヘルスセンター展

一昨日、船橋市役所で開かれていた「思い出回顧 船橋ヘルスセンター展」を見てきた。船橋ヘルスセンターとは、現在では大型ショッピング・モール「ららぽーと」になっている場所にかつて存在したレジャー施設のこと。市役所1階のスペースには、当時の施設の写真やポスター、チケットなどが展示され、記録映像をモニターで流していた。
昭和30年(1955年)に、千葉県の東京湾埋立地で温泉を掘削して作られた船橋ヘルスセンターは、大浴場&演芸場(&遊園地)の組み合わせで集客する「ヘルスセンター」ブームの先駆けとなった。日本の娯楽施設ヒストリーにおけるその位置づけについては、橋爪紳也『日本の遊園地』ISBN:4061495208取り早い(のに、残念ながら絶版みたい)。
記録を見ると、船橋ヘルスセンターには雑多な施設があり、いろんな催しが開かれていた。各種大浴場を筆頭に、観覧車、ゴーカート、サーカス、スキー、飛行場、のど自慢、アイススケート、ゴルフ場、ボクシングジム、結婚式場、水着ショー、釣り堀、大滝すべり(プールのながーい滑り台のこと)、モーターボート、潮干狩り、歌謡ショー、ボーリング場、ビリヤード、花火大会……。ホントになんでもあり、というか、無節操なパワー。
そして、船橋ヘルスセンターに芸能部があり、「少女音楽隊」が組織されたこともあった点は、宝塚を思い出させる。芸能文化として一種独特な発達をとげた宝塚歌劇も、もともとは箕面有馬電気軌道(のちの阪急電鉄)が、温泉地の客寄せで催した「婚礼博覧会」において少女歌劇を上演したのが始まり(大正3年=1914年、宝塚新温泉パラダイス劇場)。そうした意味では、宝塚新温泉を「ヘルスセンター」のルーツと評する向きも少なくない(津金沢総広『宝塚戦略 小林一三の生活文化論』ISBN:4061490508)。
一方、モノレールやジェットコースターがあるうえに、海賊船がりばあ号まで浮かべていた船橋ヘルスセンターは、今から振り返れば、東京ディズニーランド&ディズニーシーの“前哨戦”だったとも思える。船橋ヘルスセンターは昭和52年(1977年)に閉園となったが、その6年後の昭和58年(1983年)には、やはり千葉県の東京湾埋立地である浦安市舞浜において、東京ディズニーランドが開園した。その運営会社オリエンタルランドに出資する三井不動産には、かつて船橋ヘルスセンターを運営していた朝日土地興業を吸収合併した経緯がある。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/000004


それにしても、「船橋ヘルスセンター展」でリピートされていたCMソングが今でも耳に残って、頭の中でグルグルしている。

船橋ヘルスセンター 長生きしたけりゃチョトおいで
チョチョンノパッ チョチョンノパッ

うーん。確かにこの歌、自分が幼児だった頃、耳にした気がする。三木トリロー作で楠木トシエが歌っていた、典型的な“昭和の”CMソング。タイトルは〈長生きチョンパ〉だそうな(笑)。

ちなみに、船橋ヘルスセンターに関しては、土地利権や入湯税をめぐる指摘がなされている。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/boso/herusu.htm
http://vivit.livedoor.biz/archives/2468043.html