昨日、東京国立近代美術館でゴッホ展を見た。画風の推移に伴い、塗られた絵の具の盛り上がりぐあいが変わっていくのが面白い。こうした立体感は、やっぱり画集では味わえない。
展覧会では、ゴッホに影響を与えた画家や交流のあった画家の絵も飾られていた。また、ドラクロワ、ミレー、レンブラントなどの巨匠の白黒複製版画を、ゴッホが自分流の色彩に置き換えた模写も展示されていた。
そして、浮世絵からの影響を紹介するコーナーでは、ゴッホによる浮世絵の模写も見ることができるわけだが、美術の非専門家である普通の日本人の感覚として暴言吐かせてもらってよかですか? 渓斎英泉の模写を描きこんだ「花魁」http://nb.nikkeibp.co.jp/masters/free/CALENDAR/NUMBERS/artdecom/20050401001501.shtmlを見て、僕は思いました。
「まるで、浅草なんかで外国人観光客向けに売られてる“インチキ浮世絵Tシャツ”みたいじゃん!」
絵の具で描かれることで木版画特有の輪郭線が失われ、おまけに和風の色あいでなく西洋的なカラーリングにされたために、浮世絵として見ようとすると冗談っぽく見えてしまう――のではないかと思う。芸術としてのレベルの高低はともかく、ゴッホの浮世絵模写と浅草のTシャツ用浮世絵イラストは、非日本的な違和感……言い換えるなら、ある種の“マンガちっく”さが感じられる点で共通している。
――ということは、あるいはひょっとすると、ゴッホによる巨匠たちの模写についても、西洋人の絵画通が見た時には、ゴッホの独自解釈に“マンガちっく”な誇張を感じて思わず笑っちゃったりするんでしょうか? 無知な自分には、そこらへんがわかりません。