ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

廣野由美子『批評理論入門 「フランケンシュタイン」解剖講義』

批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書)
副題にあるように、メアリ・シェリーのあの有名な(でも実際に読んだ人はそう多くない)ホラー小説を読むことを通して、文学批評理論のあれこれを解説した入門書である。
第1部の「小説技法編」では『フランケンシュタインISBN:4488532012つ、ロシア・フォルマリズム構造主義などの形式主義批評にのっとり、「ストーリーとプロット」「提示と叙述」「異化」「間テクスト性」など、文学にかかわる諸要素を説明する。また第2部では、形式主義以外の「伝統的批評」「精神分析批評」「ジェンダー批評」「マルクス主義批評」……といった諸理論であの怪物物語をどう解釈できるのか、多様な読解を紹介する。
たった780円で、けっこう多くのことがらをコンパクトにサクサクとわかりやすく説明している。文学部の学生さんに対しては、ホントにいい教材になると思う。
(ところで、死体を接ぎ合わせて誕生した『フランケンシュタイン』相手に、“解剖”講義――と医学っぽい副題をつけているのは、一種のギャグでしょうか?)


ただ、この新書は『批評理論入門』としては優れた教材なんだけど、“批評家入門”ではないんだよな、とふと気づく。昨年出た小谷野敦の新書『評論家入門』ISBN:4582852475、“家”になることと“理論”の差が察せられる。
両著の見出しの質には、かなりの落差がある。

  • 『批評理論入門』の目次から
  • 『評論家入門』の目次から
    • 「売れない」という苦悩 / 物書きはどのくらい儲からないか / 新書は執筆したけれど……

2冊を並べると、早い話が理論だけでは金になりません、って単純な事実がすぐ理解できるだろう。
とはいえ、そうであっても『評論家入門』の副題には、〔清貧でもいいから物書きになりたい人に〕とある。章題や見出しにも、

    • 評論とは何か―「学問」との違い / 非論理的評論がはやるが、論理的でも評論は書ける / 論争の楽しみと苦しみ……

などと記されている。たとえ「清貧」であっても選ぶに値する「評論家」という職業――という矜持が伝わってくるわけだ。そういう面では、『批評理論入門』と『評論家入門』は同種の高踏的な文学観を共有しており、小谷野のような意味での「評論家」にとっても、“理論”は大切なものとしてある。
でも、「評論家」というよりも、エンタテインメントの「書評ライター」である時に、理論ってどうよ? と思わないでもない。「書評ライター」としてはムツカシイ理論を意識するより、ろくに根拠を示さずに「いい」「悪い」と断言して星をつけるAmazonのコメント欄や、「ダ・ヴィンチ」の読者アンケート、「活字倶楽部」の投稿欄などのありかたを意識しておいたほうが、より現実的な“書評ライティング”ができるのではないか。そう感じるのだ。