ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

「下流社会」という言葉

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)
三浦展の本の内容は、表やグラフの数字の説明に終始しており、読みものとしてはあまり褒められたものではない。それでも、べつにいいのである。
団塊ジュニアの「下流化」は進む!〕
〔「下流」の男性はひきこもり、女性は歌って踊る〕
――などなどの章題や小見出しさえ目に入れれば、内容はすぐ察せられるのだから。
結局は、「下流社会」というネーミングの勝利。新書には「新たな階層集団の出現」となにやら厳しい副題が付けられていたが、「上流」、「中流」といった言葉のパロディとして「下流」が持ち出されたわけである。三浦には『ファスト風土化する日本』ISBN:4896918479そのものの書名があった。『下流社会』なんて言葉も同じセンスである。
フリーター増加に象徴される団塊ジュニアの「下流化」は、三浦のいうように、彼らが自分らしさを求めた結果でもあるのだろう。必ずしも追いつめられて「下流化」しているばかりではない。貧乏さんの生態を追う「銭形金太郎」、節約生活の競争を見せる「いきなり!黄金伝説」なんてバラエティ番組が、ゴールデンタイムに成り立ってきた昨今である。このことは、「下流化」が当人たちにとってシビアの現実であるよりは、自分らしさの追求ととらえられている世相に見合っている。でなければ、貧乏や節約が視聴者にギャグと受け取られ、ある種の共感を生むこともなかった。
カニ風味かまぼこ、アキバ系といった時の「風味」、「系」が発する曖昧な雰囲気を、「下流」の「流」も漂わせている。他に選択の余地がないのではなく、別の「風味」、「系」、「流」も選べるんだといいたげな曖昧さ。
客観的には、それは下層階級の誕生なのだろう。しかし、当人たちにしてみれば、どの層とかどの階級とかでなく、まず自分らしさを追求したいだけなのだ――と錯覚できている。いいじゃないの、幸せなら……(と書くと、「……」から不幸がにじみ出してくるような気がするのは、なぜ? ……)。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20051130

  • 13日夜の献立
    • ポーク・ソテー(オリーブオイル、にんにく。ケチャップ、粒マスタード、赤ワイン)
    • ゆでブロッコリー&にんじん
    • コーン・ポタージュ
    • もやしをチン(ポン酢)
    • 白米1:玄米1