http://www.kaikaikiki.co.jp/news/list/murakamis_lawsuit/
自分は“引用”を前提に“アート”してるくせに、なぜか今さら声高にオリジナリティを主張し、他者から著作権を侵害されたのだと訴える。最初は、現代美術的な意味における“パフォーマンス”なのかと思ったが、ベタに裁判であったのだなぁ。――最低である。
オレンジレンジをパクリだと糾弾する人たちが持ち出すオリジナルが、実はそれほど高度なオリジナリティを有しているわけでもないという不思議さ。村上隆による今回の糾弾劇には、それに類する脱力感を覚えてしまった。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20050908#p1)
仮に、「マウスくん」というデザインを持ち出したのが、ナルミヤという企業ではなく現代美術家で、しかもその人が“引用”でシミュレーショニズムがスーパーフラットでうんたらかんたら−−と理論武装していたら、村上隆は自分の「DOB君」との関連をこんな風には主張しなかっただろう。
現代美術には現代美術のデータベース消費があり、商業デザインには商業デザインでのデータベース消費が行われている。けれど、データベース消費という意味では同様であるにもかかわらず、村上は今さら“美術”という聖域があると考えてしまった……。
もし、ナルミヤ側が、村上隆からパクったのではなく、村上の“引用”元からパクったのだと、法廷の場で開き直って反論したらどうなるんだろう? そんな現代美術的“パフォーマンス”なら、見てみたいが。
今回の件は、昨年、マンガからの盗用があると糾弾された本格ミステリ小説があったことを、ちょっと思い出させる。本格ミステリは昔から、パスティーシュ、本歌取り、パロディが盛んなジャンルであり、データベース消費が常態化している。一方、マンガもデータベース消費は伝統芸となっている。本格ミステリ、マンガ、それぞれの領域内部でデータベース消費をしているぶんには、表現者、ファンの間でどの程度までならOKなのか、ジャンルの生産性の一種として認められるのか、“暗黙の了解”のようなものが、なんとなく成立している。ところが、データベース消費を行う際、領域と領域を不用意に横断してしまうと、“暗黙の了解”の埒外となり、時には騒ぎになってしまう。
今回の村上隆も、いってみれば、領域侵犯された感覚なんだろう。
領域内でデータベース消費を行っている時の寛容さと、領域外からデータベースにアクセスされた時の不寛容さ。いったい、なんなんだろう、この恐ろしい落差は?