ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

堀井憲一郎『若者殺しの時代』

若者殺しの時代 (講談社現代新書)
社会における「若者」のポジションの変化をテーマにした80年代論。この時代を相手にする時、クリスマス・デート、ディズニーランド、ラブストーリーといった本書みたいなアングルは目新しくない。けれど、「ずんずん調査」ならではのフットワークで、さくさく整理してある点は好感が持てる。
上手いなぁと思ったのは、堀井が本論への導入として、『一杯のかけそばASIN:4041814014 の話を持ってきたこと。貧乏母子をめぐるあの“感動童話”は、作者・栗良平があっという間に“ペテン師”に分類され直したことで、すぐに忘れ去られた。1989年の出来事である。
そして堀井は、『一杯のかけそば』に対する反応が、1970年生まれ以降/以前で異なることに、ある種の時代感覚の断絶を読み取る。堀井のその着眼は面白い。でも、それはそれとして、僕が気になったのはべつの部分。
作者・栗良平は、一杯のかけそばを母子で分け合う貧乏ストーリーの起点を、1970年代前半に設定していた。それについて堀井は、〔おそらく1972年くらいだ〕と年を特定する。
1983年のクリスマス/1987年のディズニーランド/1989年のサブカルチャー/1991年のラブストーリー……
−−という章題で統一している通り、本書では“・・年”ということが象徴的に扱われる。だから、『一杯のかけそば』に関し、堀井が“1972年”と書く時もなんらかのニュアンスがこめられているはずだが、文中では説明らしい説明がない。とはいえ、僕が“1972年”から連想することはある。
経済に関する/家族に関する日本の物語が、1972年に変わった――平井玄は『ミッキーマウスのプロレタリア宣言』(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20051130#p1)でそんな認識を示していた。堀井も、それと似た見方なのではないか。“1968年革命”的な社会変革への夢想が、1972年の連合赤軍事件で自滅・終演を迎えた。これが平井玄の(一般的でもある)歴史観だが、堀井にとっての“1968年”と“1972年”の距離感も同様だろう。
堀井は、『若者殺しの時代』の後半で、こう書いている。

たぶんベビーブーマーたちは、1968年に破壊できなかった何かを、もう一度、やんわりと破壊しようとしているのではないか。若者をゆっくりと殺していくことで、何かに復讐しようとしてるのではないだろうか。(中略)彼らは自分たちで「若者」というカテゴリーを作りだし、自分たちが老いてくるにしたがって、そのエリアを抱きかかえたまま混乱の中を死んでいこうとしてるようだ。

堀井のこの語りに、僕も同意してしまう。大昔に聞いた音楽、弾いたギターを団塊世代が懐かしむ“おとなのロック”、“おとなのエレキ”なんて最近の風潮など、堀井の診断そのものかも……。

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