ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

『NINAGAWA十二夜』

事前にチケットを買っていなかったので、昨夜は歌舞伎座の幕見席に並んで入場。そのまま居座り、序幕から大詰まで見た。シェイクスピアの『十二夜』を蜷川幸雄が歌舞伎用に演出したもので、これが再演。僕は初めて見たけれど、単純に面白かった。


かなり前、93年に花組芝居が『天変斯止嵐后晴 てんぺすとあらしのちはれ』のタイトルで、やはりシェイクスピアの『テンペスト』をやったのを見たことがある。これは、文楽用に作られた脚本を使い、歌舞伎様式で演じたもの。正式の歌舞伎には出演できない女流義太夫を起用することで、丸本物(義太夫狂言)風にした舞台だった。三味線の鶴澤津賀寿の弾きっぷりが、やたらとカッコよかったのを覚えている。だが、全体的には、花組芝居が小劇場的な猥雑さから遠ざかり、芸術的に“よそゆき”にやったという印象だった。


NINAGAWA十二夜』は、その正反対。鏡を多様した舞台美術は、ふだんの歌舞伎座に見られないモダンさで、アーティスティックな雰囲気だった。チェンバロの使用もそうだろう。
とはいえ、話の内容や演出は、逆にベタといっていい。互いの勘違いでどんどん話がねじれていくおかしさは、アンジャッシュのコントのよう。部屋から出て行く時、柱に激突するお約束は、ドリフターズかよってなノリである。シェイクスピア、歌舞伎に共通する語呂合わせなどを接点に、それぞれのベタな要素ばかり、クドいくらいに持ち寄ったような娯楽性だった。
シェイクスピアのストーリーの枠組に、「びびびびぃ」とか、「さあ」「さあ」「さあ」さあ」とか、いかにも歌舞伎っぽいセリフがたくさん放り込まれている。また、劇中には、「かーっ」と息を吐きながら、成田屋みたいな見得を真似て笑いをとる、ジャンルのセルフ・パロディ的な場面もある。これなど典型的だが、シェイクスピアを口実にして、歌舞伎のお約束やガジェットを陳列したような猥雑さがある。男と女の早変わり、義太夫長唄の挿入によるにぎやかさもそうだ。鏡やチェンバロといったモダンさはあれども、むしろ、いつもの歌舞伎以上に歌舞伎的要素の密度が濃い。その過剰さが、面白かった。


男女の双子の二役をやりつつ、その片方では女が化けた男を演じた菊之助は、よく頑張っていたと思う。舞台に“見映え”だけで出てきやがる海老蔵なんかとは大違いだ。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20070116#p1

十二夜 (白水Uブックス (22))

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