プログレッシヴ・ロックの歌詞を解説した本を出したのに伴い、先日、イベントを催した(7月31日「夏を制するものはプログレを制する!円堂都司昭『意味も知らずにプログレを語るなかれ』刊行記念~絶対合格!キスエクと学ぶ「夏のプログレッシブロック強化講座」高円寺pundit’」)。
当日、展開次第では~と思いつつ、機会がなくて喋らなかったことがある。もともと、私が歌詞というものに興味を持ったのは、中学時代に古本で買った『発禁放禁歌集』(ルック社、1977年刊)が大きかったということだ。
引っ越しの時に本は手放してしまったが、プログレ・イベント後に起きた、「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」をめぐる騒動があって以来、同書のことが思い出されてならない。なので、あらためてウェブで古書を注文したところだ。
『発禁放禁歌集』には、政治的だったり性的だったりの問題が指摘され、規制された歌の詞が多数掲載されていた。フォークが多くを占めていたと記憶するが、この本のおかげでザ・フォーク・クルセダーズ「イムジン河」や頭脳警察「銃をとれ」などは音楽を知らないまま、まず詞だけを先に知った。
同書に詞が掲載された歌のなかには、後に普通に聴けるようになったものもある。私が高校の時に「銃をとれ」を収録した『頭脳警察2』が再発売され、ようやく音に出会えた。一方、それと前後する時期に発表されたアナーキーの天皇批判ソング「東京イズバーニング」は「象徴」「殿下」の言葉を消した状態での収録だったとはいえ、当時はNHK FMでも流されたのに、後のCD化では曲自体が外された。そうであっても、今はユーチューブなどで視聴できるが。
社会や世間の禁忌の基準は、時と場合によって揺れ動く。表現規制についてなにかいいたいのなら、最低限、そのことは意識しておくべきだ。今、ふりかざしている正義が永遠だとは限らない。それを踏まえておかなければ、後の時代にとって大切なものが永遠に失われてしまうことだってある。