昨日、東京国立近代美術館へ藤田嗣治展を見に行った。エコール・ド・パリ時代、南米志向、日本回帰、戦時下、再びフランスへ――と年代順に並べられた作品を順繰りにみても、本当によくわからない人だ、なにを考えていたのか。
写実性の度合い、画のボリューム感、描く対象となる人種、色彩などなど、絵の内容が年代ごとに大きく変わる。
また、軍部に協力して戦争記録画を描いたことで知られるから、国家ベッタリの人だったかと思えば、藤田のドキュメンタリー映画『風俗日本』は国辱的な内容だと批判されたという。
「乳白色の肌」、「パリを魅了した異邦人」、戦争記録画……藤田をめぐるキーワードは、いずれもある一時期にしか当てはまらない。かといって、こうして各時代の作品を集めた場に来ても、生涯を貫く“藤田嗣治”の芸術家像が浮かび上がるようには感じなかった。むしろ、その場ごとにいろいろ方法を引き出せる、有能なデザイナーに近い印象
戦後にパリで描いた子どもたちの絵は、確かに好ましい。でも、それらの絵に対し、戦争画をめぐる批難に嫌気のさした画家が、童心や無垢を求め子どもをテーマにした――なんて解釈をしてみても、しかたない気がする。藤田の絵には、大人よりも妙に高い子ども特有の体温、多動性は描かれていない。大勢いるみんなが同じ顔をした子どもたちは、まるで人形のよう(そこがいいんだけど)。つまり、彼の絵には、デザインとしての子どもが存在するのであって、藤田の個人史に基づいた感情的ななにかが反映されているとは思えなかった。
そして、この画家にとってはたぶん、パリや南米、さらに母国の風俗も戦場の光景も、デザインの一種として、選択肢の一つとして把握されていたのだと、作品から想像する。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20060106#p1)