ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

貫井徳郎『夜想』

夜想
新興宗教をとり上げた点で、『夜想』はデビュー作『慟哭』のテーマを引き継いだ作品である(信仰というテーマでは『神のふたつの貌』も)。


『慟哭』(1993年)は、二つのストーリーが並行して進む小説だったが、そのうちの一つはある男が新興宗教団体にかかわり、後には自分ひとりでおどろおどろしい儀式にのめり込んでいく展開だった。彼がかかわった教団の描写は、参謀役が狡猾に立ち回る一方、教祖は傀儡にすぎないという印象を与えるものになっていた。
これは、新興宗教団体の書きかたとしては、定型的だったといえる。ビートたけし『教祖誕生』(90年)asin:4101225168でも、教祖という存在は空虚でかまわない、参謀役こそが教団を運営維持するという図式だった。また、大槻ケンヂ新興宗教オモイデ教』(92年)asin:4041847028asin:4094510028でも、教祖は超能力を持っている設定なのに、つまらない中年男扱いだった。さらに、『教祖誕生』では主人公である入信者の青年が二代目教祖にされてしまうし、『新興宗教オモイデ教』でも主人公はやはり新規入信者で、後に彼の超能力に目をつけて一緒に組もうと言い出す人間が現れた。
『教祖誕生』と『新興宗教オモイデ教』の主人公が青年であったのに対し、『慟哭』の入信者が子どものいた年齢であること、小説家としての文章力の違いなどで、貫井作品はたけし作品、オーケン作品よりはるかに緻密に書かれている。だが、新興宗教をとり上げるに際し、教祖の軽さ、参謀役のうさん臭さと面白さに着目したところは、三者で共通していた。
また、教団をめぐるこの種の見かた、書きかた(役柄配置)は、オウム真理教をはじめとする80年代以降の新興宗教ブームを通過した小説界では、一般的だった。小説のパターン、ガジェットとして、「宗教」を書く時の型が出来上がっていたのである。


今回の『夜想』は、その種の典型的なパターン、ありがちなガジェットに終らせず、新しい教団の形成と動揺を描いてみようとした意欲的な小説と評価できる。
夜想』では、(『慟哭』の入信者ともどこか通じるところのある)主人公が、新団体立ち上げの参謀的な役回りになる過程を追っている。そこでは、別の教団でかつて参謀役だった男が後から加入し、主人公の“理想”と摩擦を起こす様子も語られている。この後からの加入者は最初、『慟哭』にも描かれていたような“狡猾な参謀役”の典型として登場する。
参謀役に相当する登場人物が二人いて、摩擦や議論が巻き起こることにより、それぞれの抱える善悪、正邪、理想と計算の両面が浮かび上がる構成だ。パターン、ガジェットとして宗教をとり上げる場合、“参謀役は教団の必要悪”と見なすだけで終ってしまいがち。これに対し貫井は、もっと掘り下げて人々の心の動揺を照らし出している。それは、教祖的立場に祭り上げられた若い女性の描きかたにしても同じだ。
ミステリ的な仕掛けも用意されているが、それ以上に、すがるなにかを求めざるをえない人々の業や性(さが)をつきつめる迫真性で読ませる作品である。

  • 13日夜の献立
    • あじの南蛮漬け(だしつゆ、鷹の爪、レモン汁、玄米酢、白髪ねぎ、新玉ねぎすらいす、しょうが千切り)
    • 揚げ野菜の南蛮漬け(大根、新じゃがいも、ピーマン、なす、にんじん。だしつゆ、鷹の爪、黒酢
    • ゆでキャベツ(マヨ、梅酢)
    • 豆腐となめこの味噌汁
    • 玄米ごはん、胚芽米ごはん
    • 発泡酒雑酒