今回、自分は『「謎」の解像度』という評論集を出したわけだが、この書名のうち『解像度(レゾリューション)』という言葉は、小寺信良×津田大介『CONTENT’S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ』の議論を意識したものである。同書に関しては以前、この雑記帖で以下のような文章を書いた。
http://d.hatena.ne.jp/ending/20080120
『「謎」の解像度』では、その一部を組み込んだ章がある。
上記の文章以来、この雑記帖では〔「ローレゾリューション論(仮)」のための覚書〕というのをしばしば書き込んでいるが、『「謎」の解像度』のほうは、基本的に「ローレゾリューション(低解像度)論」ではない。この本の清涼院流水を論じた章で、吉本隆明『ハイ・イメージ論』に言及していることにもあらわれている通り、『「謎」の解像度』では、メディア環境のハイレゾリューション(高解像度)化と本格ミステリの照応というアングルで、基本的に話を展開しているといえる。
しかし、今後はむしろハイレゾリューションよりもローレゾリューションをテーマにするべきだろうという意識が自分に生じたので、『「謎」の解像度』の終章的な部分で、ローレゾリューションに言及したわけだ。したがって同章は、いつ書かれるかわからない「ローレゾリューション論(仮)」の序章的なものと、自分のなかでは位置づけている。
CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ (NT2X)
- 作者: 小寺信良,津田大介
- 出版社/メーカー: 翔泳社
- 発売日: 2007/08/02
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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さて、『CONTENT’S FUTURE』と自分には、ちょっとした因縁がある。
「音楽配信メモ」http://xtc.bz/index.php?date=2007-07-22
関連雑記 http://d.hatena.ne.jp/ending/20041004#p1
つまり、自分は、『CONTENT’S FUTURE』がクリエイティブ・コモンズで刊行される後押しをした1人になったかっこうなのだ。
一方、僕の『「謎」の解像度』では、リミックスや「共有地」というテーマも扱っているし、オリジナリティ神話から距離をおく姿勢をとっている。また、自分自身は、著作権はかなり弾力的に運用されるべきものだと考えてもいる。
しかし、『「謎」の解像度』は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスを付けていない。版元である光文社の他の書籍と同様に、以下の注意書きが記されている。
本書の全部または一部を無断で複写複製(コピー)することは、著作権法上での例外を除き、禁じられています。本書からの複写を希望される場合は、日本複写権センターにご連絡ください。
この表現・基準は、自分の感覚からするときつすぎるし、もう少し緩和した姿勢を打ち出せないかとも思った(もちろん、出典さえ記せば、日本複写権センターにご連絡せずとも、複写複製したものを非営利で掲示するのはけっこう)。
しかし、同書は、評論という性格上、引用部分が少なくない。それらの他の著者が書いた引用文に関してまで、僕が上記を越えた基準緩和を決めようとするのは問題があるのではないか(数が多いので、1人1人承諾を得るのも難しい)。かといって、引用文との関係で僕の文章が成り立っているのだから、僕個人の文章に限って複写OKなどといっても意味がない。
さらに悩ましいのは、ネタばれ問題だ。『「謎」の解像度』では極力ネタばらしを避けたけれど、それでも事前に注意書きを入れたうえで内容に踏み込んだ部分はある。そうしたネタばれ部分が、安易に複製配布されたりするのは困る。
というわけで、いい案が浮かばず、光文社の従来基準を踏襲することになった。他人に対して偉そうなツッコミを入れておきながら、自身は明確な姿勢を打ち出せなかったのだから、津田大介氏には申し訳なく思う。
著作権、クリエイティブ・コモンズなどのテーマに関しては、もっと考えなければいけないと反省。