ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

遠藤薫『廃墟で歌う天使 ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』を読み直す』

タイトル通り、ベンヤミンの古典を題材にしたメディア論の教科書的な本であり、初音ミク論でもある。

 このような情報が記録される記憶媒体(映画フィルムや写真のネガ、レコードなど)、つまり物質性を持ったものの複製ではなく、デジタル(データ)化され実体も場所も持たない抽象世界での「情報それ自体」の「再製」を可能にした技術を、本書では「メタ複製技術」とよぶ。

遠藤薫はそのように定義したうえで、インターネットなどでの「N次創作」的な状況を「メタ複製技術」の観点で考察し、初音ミクからベンヤミンの複製芸術論をとらえ直す。
初音ミクのほか、Perfume、“江南スタイル”などへの言及もあり、『ソーシャル化する音楽 「聴取」から「遊び」へ』と関心領域は重なっているので、全体的に興味深く読んだ。
また、私の著書の場合、ベンヤミン的な議論を展開した北山修『人形遊び 複製人形論序説』を視野に入れつつ、『トランスフォーマー』の分割・変身・合体の比喩で音楽遊びの諸相を論じた。一方、遠藤薫の著書でポイントになるのは、人間の複製/再製である自動人形−ロボット−ヴァーチャル・アイドルの系譜だ。
本書では、チェスを指す(と見せかける)自動人形から初音ミクに至るまでの自動人形史を辿り直す。そして、ベンヤミンが購入したクレーの絵画「新しい天使」に注目しつつ、『廃墟で歌う天使』としてのミクを語る。この展開は、ボードゲームをめぐるSF短編連作『盤上の夜』で単行本デビューした宮内悠介を連想させる。彼は、二冊目の連作『ヨハネスブルグの天使たち』では、初音ミクからヒントを得て発想した少女機械人形DX9を、世界各地のテロ、内戦の地域に登場させたのだった。
このようにタイトル、イメージ、テーマなどで『廃墟で歌う天使』と通じる要素があるが、同書に宮内作品は登場しない。『廃墟で歌う天使』は今年6月25日発行、『ヨハネスブルグの天使たち』は5月25日発行と制作時期が近接しており、参照のしようがなかったわけだ。そんな二冊のシンクロぶりが、ちょっと面白いと思った。

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