ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

『ウォルト・ディズニーの約束』

http://ugc.disney.co.jp/blog/movie/category/walt

ディズニー映画『メリー・ポピンズ』はいかに生まれたかという秘話。
原作者P.L.トラヴァースは、ウォルト・ディズニーが切望する『メリー・ポピンズ』の映画化を拒んでいた。結局、金銭的苦境から受け入れざるをえなくなるが、彼女は映画への脚色については、口うるさく意見を出してアニメ化は退け、陽気なミュージカル調になることにも反発を示した。
ウォルトはトラヴァースを懐柔するため、ディズニーランドに招待する。だが、彼女は、ホテルの部屋に用意されていたたくさんのディズニー・キャラクターのぬいぐるみを見えないところへと片づけ、ウォルトがパークを案内しても不快そうな表情であり続ける。
原因は、『メリー・ポピンズ』に彼女自身の子ども時代が反映されており、父の思い出がそこに宿っていたからだった。子どもに優しく空想好きだが、勤め先の銀行でうまく働けず、酒に溺れる父。早死にした父を追って母は自殺未遂を起こした。労働、飲酒、不幸という彼女の見た現実から産み落とされた『メリー・ポピンズ』が、ディズニー化され、明るく脱臭されることが許せない。『ウォルト・ディズニーの約束』は、そうした心理を明らかにする。
魔法にかけられて』では、ディズニー的なおとぎ話の世界と現代のニューヨークが対比されていたが、『ウォルト・ディズニーの約束』では、魔法にかけられる以前の『メリー・ポピンズ』の原風景が、どのように魔法をかけられ、ディズニー化されていったかが描かれる。これもまた、内在的な風刺・批判の視点を含んだディズニー映画なのである。
トラヴァースの自宅を訪問したウォルトが置いていったぬいぐるみ、試写会で彼女をエスコートした着ぐるみ。そのような形でミッキーマウスが登場し、彼女とウォルトの仲を取り持つ。ディズニーの主役にふさわしい、おいしい役どころだ。
しかし、試写を見た彼女は、結局、ウォルトが映画の一部にアニメを使ったことに不満を表す。両者は一応和解したものの、溝が完全に消えたわけではない。ディズニー的な価値観の勝利を語りながらも、ディズニー化への抵抗が貫かれた作品ともなっているわけだ。その点が面白い。