ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

『眠れる森の美女』と『マレフィセント』

ディズニーのアニメ映画『眠れる森の美女』(1959年)では、魔女マレフィセントによって王女オーロラの未来が呪われる。その予言から逃れるため、オーロラは3人の妖精によって育てられる。
オーロラは、父の王が決めた婚約者で隣国の王子であるフィリップと出会い、恋に落ちる。その時点で二人は互いの身分を知らない。フィリップは、親の決めた許嫁を拒否してオーロラを選ぶ(そのことによって結局、親の決めた通りになるが)。一方、オーロラには、親が決めたことへの反抗の態度は(表立っては)みられない。
フィリップはマレフィセントを退治し、呪いによって眠らされたオーロラをキスすることで目覚めさせる。二人の婚姻によって二つの王家は結びつき、大団円となる。これが保守的な、“プリンセス meets プリンス”のラヴ・ストーリー。


実写映画『マレフィセント』(2014年)は、その『眠れる森の美女』を魔女の視点から語り直し、物語の構造をひっくり返してみせた。
マレフィセント』では、オーロラの父が恋人であった妖精マレフィセントを裏切り、人間の王家の娘と結婚したことが、物語の発端となる。そうして生まれたのが、オーロラだった。もしも、マレフィセントが父王と別れていなければ、彼女がオーロラを生んでいたかもしれないという関係性だ。
まず、恋における裏切りと別れから始まるのだから、“プリンセス meets プリンス”のラヴ・ストーリーの王道である“真実の愛のキス”は、物語の開始早々に否定されてしまう。
魔女となり人間の王を呪うマレフィセントは、オーロラに呪いをかける。しかし、その後の経過が『眠れる森の美女』と異なる。3人の妖精は子育てに関してはまったく無能なため、マレフィセントの密かな助力のおかげでオーロラは育つ。『マレフィセント』では、魔女が王女の養母と化すのである。
マレフィセントと父王の対立が続くなか、やっぱり呪いは発動してオーロラは眠ってしまう。やがて現われた王子がキスしても、王女は蘇らない。「下手くそ」だからだと妖精にいわれる始末である。
また、妻を亡くした後、マレフィセントへの憎しみに狂う王は、実の娘オーロラと久しぶりに再会できても喜ばなかった。それに対し、マレフィセントによる“真実の愛のキス”で復活したオーロラは、養母が実父を殺すことに実質的に加担する。これは、王女が結果的に育ての母を死に追いやる『塔の上のラプンツェル』以上に大胆な展開だろう。
『眠れる森の美女』にあった人間の国同士の和睦といった要素は消し去られ、それどころか血でつながった王の家族は崩壊する。マレフィセントとオーロラの絆によって妖精界と人間界が和解し、疑似家族が形成され、疑似ハッピーエンドとなる(そのなかで王子は、本当に端っこにいる端役にすぎない)。『リトルマーメイド』でも、海の世界と人間の世界の和解が描かれていたが、同作では家族の崩壊は起きていないし、比べると『マレフィセント』がいかにシビアな内容であるかがわかる。
“プリンセス meets プリンス”のラヴ・ストーリーを“妹 meets 姉”に変えたのが『アナと雪の女王』だったとすれば、『マレフィセント』は“疑似母(かつてのプリンセス) meets 娘(現在のプリンセス)”のラヴ・ストーリー。
旧来型のディズニー的物語に対する風刺と再構築を含んだディズニー作品が増えるなかでも、特に興味深い作品になっている。

Ost: Maleficent

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