ミッシェルガンエレファントのラストライヴを幕張メッセで観た時、近くに小さな男の子を連れたグループがいたのを覚えている。大人たちで囲んでスペースを作ったところで、その子が踊るというかはしゃいでいたり、肩車で揺すってもらってキャッキャしたり、彼もライブ空間を楽しめていたようだった。20年前のことだからもう大人になったはずだけど、まだミッシェル聴いているかな。たまに聴いていたらいいな、と思った今日であった。
サマソニで観たThe Birthdayはカッコよかった。でも、コロナ禍突入前のことだったから、あれからも時が過ぎてしまったのだな。容赦なく時は過ぎるな。
自分が、過去に何かの形で原稿に書いた人たちが、これほど多く逝ってしまう年はなかったと思う。そういう年齢になっているというわけなのだけど、今日も、やはりかつて作品についてことのある故人について書いている最中にチバの訃報を知ったのだった。
「過去に何かの形で原稿に書いた」ということは、その人について集中して考えた時間があったということ。とはいえ今、当時のすべてを覚えているわけではないから、訃報を知ると、不完全な形で記憶が蘇り、くらくらしてしまう。忘れたことがある、ということにもショックを覚える。
最近の自分の仕事
-〈アフタートーク 著者×担当編集者〉第12回・特別編「『鵼の碑』京極夏彦(作家)×栗城浩美(講談社)×坂野公一(装幀家)」の聞き手・構成 → 「ジャーロ」No.91