ゲーム作家たちが、頼まれてもいないのに小説のゲーム化を検討してみせた『ベストセラー本ゲーム化会議』ISBN:4562035560、なかなか愉快な本だった。ゲームにするためには、なにがしかの形式化、法則化を行わなければならず、そんなアングルで見れば自ずと小説の構造が浮かび上がる――という趣向。
その討論が逆に、ゲームというジャンル・形式の性格を照らし出す場面もあるわけで、それがゲームに詳しくない僕には魅力的だった。
例えば、犯罪被害者の問題を扱った宮部みゆき『模倣犯』のゲーム化を討論した回の発言。
ゲームにすると、どうしてもネタになっちゃうね。感動のエッセンスだけをうまく取り出せないもんかなあ。ゲームってプレイヤーが参加した上で楽しませようとしがちだから、深刻な問題がすごい扱いにくいよね。
(米光一成)
素直な感想を述べただけとも読める部分だけど、この発言など本質論に届いていると思う。なにしろ、そのジャンル形式が、どんな立ち位置にあるかを語っているんだから。僕には、こうした部分が面白かった。
『ベストセラー本ゲーム化会議』の麻野一哉、飯田和敏、米光一成(名前がトリプル「KAZU」だね)による続編『日本文学ふいんき語り』を、ようやく読んだ。相変わらずの放談ぶりに笑う。ただ、日本近代文学を取り上げた「文豪の部」に関しては、前作以来の小説のゲーム化に向けた形式化、小説の構造を透かしみる営み――というアングルが弱まっているのは残念。
三人の会議から、巨大賢治ロボの体内巡りとか(宮沢賢治)、バーチャル生命体“三島っち”(三島由紀夫)といった企画案が出てきたことに象徴されるごとく、『銀河鉄道の夜』や『金閣寺』など小説のゲーム化を議論していたはずなのに、作品より“文豪”というキャラに引き寄せられがちな展開になっている。『ベストセラー本ゲーム化会議』では、さんざん「辻仁成」という固有名詞を口にしても、「辻仁成」の体内めぐりとか(ヤだなぁ)、“辻っち”(ちょっとSっけ出して遊んでみたいかも、笑)というキャラでオチをつける発想にはならなかったのに……。近代文学の呪縛か。
その点、『日本文学ふいんき語り』でも、国内の最近の小説を取り上げた「ベストセラーの部」のほうが、僕の期待からするとより楽しめたし、議論も生き生きしているように感じた。そこでは、村上春樹『アフターダーク』、村上龍『半島を出よ』も、いじり倒されていたのだった。
W村上なんていくら“文学”だといってもゲーム的な想像力の範囲内に収まっているだろうが――と、大塚英志は『サブカルチャー文学論』ISBN:4022578939を言い続けている。それを視野に入れたかどうかは知らないが、『日本文学ふいんき語り』では、ゲーム作家たちが実際に、W村上作品のゲーム化適性を語っているのだ。大塚の論とあわせて考えると興味深い。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20050627)