(小説系雑誌つまみ食い 13――「WB」Vol.08)
フリーペーパー化した「早稲田文学」=「WB」の最新号。連載インタヴュー「作家の背骨――重松清の部屋」のゲストが、京極夏彦である。これが、面白い。
http://www.bungaku.net/wasebun/freepaper/vol08_0701.html(早稲田文学編集室)
京極は、体験至上主義への違和感を語る。
体験はいちどしかされないんだから、あとはそのときの記憶を脳内で反復するだけのことですよね。でもそれは、反復されるたび変奏されているはずで、決して実体験が繰り返されているわけではない。だとしたら特別視される1回がなくっても同じことなんじゃないのか。
この言葉は、『姑獲鳥の夏』に始まる京極ワールドにおいて、作品の中心となる“妖怪”がどのような性格のものであるか、簡潔に表している。変奏された記憶が妖怪、ということだ。
また、「体験」を退けた京極はこう述べる。
いわゆる「根っこ」がないんですよ、僕。背骨も怪しい……どっちかというと外骨格のような感じですよね、甲殻類みたいだな。
出身が北海道なだけに喩えが蟹になっているというか(笑)。京極は、そのように「根っこ」のない甲殻類として、内面のない「キャラ」や、「日本」という外骨格を与えられた北海道の近代について語っていく。
そして、見出しにとられた京極の発言は、
日本に対する「キャラ萌え」ですよね、間違いなく
だから、レンガのようだと評されることの多い、あの分厚い京極本の固さは、つまり甲殻なのだ。
妖怪、歴史、キャラという京極作品の柱の要素に関し、それらがどんな姿勢で束ねられているのか。このインタヴューは、よくできた自己解説になっている。重松清の合いの手も適確で、話をうまく広げている。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20061013#p1)
- 作者: 京極夏彦
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これまで映画化するとは思わなんだ。
「ほぅ」
昔、安田成美が「ねえ、薔薇って漢字書ける?」と問いかけるCMがあった。あれがもし、「ねえ、魍魎って漢字書ける? あたし書けるんだよ」と、にこやかに言われるCMだったら嫌だよね、と昔、友だちと話したのを思い出した。