《ヴェスパタイン》、《メダラ》の内向から、外向に転じた《ヴォルタ》。ティンバランドやアントニー・ヘガティなどと共同作業したこの新作は、久しぶりにとっつきやすいポップさを取り戻しているが、相変わらずクオリティは高い。
エレクトロニカ寄りだった《ヴェスパタイン》、声を主要楽器として配置した《メダラ》など、とかく奇妙な音色を導入したがるビョークは、《ヴォルタ》では、電気親指ピアノやコラ(いずれもアフリカ系楽器)、中国琵琶などを取り入れている。彼女は、一つのスタイルにとどまろうとしない。アルバムごとに共同作業する相手や傾向を変化させ、ライヴではアルバムと異なるアレンジで歌う。
また、ビョークは、自分のヴィジュアル・イメージに関しても、常に変幻自在を強調しようとする。この着ぐるみ(っつうか、かぶりもの?)をデザインした特殊仕様ジャケットを開くと、フェイスペイントをしたさらに極彩色のビョークが登場する。彼女が、ジャケットやPVで自分を異形の姿に変えてみせるのは、いつものことである。
サウンドもヴィジュアルも、自在に描き換えることのできるキャンバスだ――これが、ビョークの基本的姿勢。
だが、新作に接するたび、そんな風に自由奔放さ、変幻自在さが前面に打ち出され、そのことに納得するのと同時並行で、「ああ、いつものビョークだね」と安心するファン心理があるのも確かだ。
12歳でデビューしてから30年間、彼女は、ロック・バンド、ジャズ、ハウスなど、実に多様なサウンドをバックにして歌ってきた。とはいえ、あの、幼児がしゃくり上げているような特有のヴォーカル・スタイルは、80年代のザ・シュガーキューブス時代に、もう基本的な“型”はできていた。以後のキャリアにおいて、曲ごとのニュアンスのつけかたなどは、当然、巧みになった。でも、だからといって、サウンドの変化が大きい時でも、彼女のヴォーカルの“型”が崩されることはなかった。だから、「ああ、いつものビョークだね」という感想を抱く。ビョークのファンは、あの変わらぬ“型”を愛しているのでもあるし。
自由奔放、変幻自在を価値と考える“アート”的な部分と、定番の“型”を楽しむ“芸能”的な部分の同居。いくらでもサウンドやヴィジュアルを変える人が、いつもと変わらぬヴォーカルを聞かせる。――それがビョークの魅力。新作はその両方向の要素が、いいぐあいにバランスしていると思う。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20061002#p1)
- 14日夜の献立
- 15日夜の献立
- ゆで豚(塩、長ネギ、しょうが)+湯通しした水菜 ← たれ1(梅醤番茶の素、しょうゆ、しょうが、梅酢、米あめ)、たれ2(ねりごま、粗糖、ポン酢、麦みそ)
- ポトフ(上のゆで汁にじゃがいも、にんじん、玉ねぎ。ハーブ塩、こしょう)
- トマト
- あずき入り玄米ごはん(レトルト)
- 16日夜の献立